やしお

ふつうの会社員の日記です。

ゼルダとジムとやりがい搾取

 ここ最近、テレビゲーム「ゼルダの伝説」の新作「ティアーズ オブ ザ キングダム」(TotK)をずっと遊んでいる。本当に楽しい。前作「ブレス オブ ザ ワイルド」(BotW)も本当に楽しくて、ずっと新作を心待ちにしていた。これだけ大勢の人から大きな期待を集めて、その期待を越えたものをメーカーが出せるのは心底すごいと思う。
 それはそれとして、遊んでるとなんか仕事っぽいなという気持ちに時々なる。


仕事っぽさ

 タスクがどんどん発生する、それをやり方考えてこなしていく、それで忙しい。やることが多い。
 この感覚が、やってると「仕事っぽい」という気持ちになる。
 前作BotWも同様だけど、今作TotKはやること、やれること、やりたいことがさらに増えていて(アクションの種類がさらに多く、フィールドがさらに広いので)ますますその気持ちになる。


 アクションの種類が増えたことで、操作に難儀することが時々ある。(ウルトラハンドなどのモードが多く、十字ボタンとスティック、L/R/ZL/ZRを押し間違えて、意図した動作と違うことを一回してしまうことが時々ある。)
 新しいツールが出てきて、でも「考えなくても手足みたいに動かせる」ほど脳が適応できなくて、やるのが遅く、年を取ったのを感じて悲しくなる。
 この哀しみも、ちょっと仕事っぽい要素と言えるかもしれない。


お金を払って労働する

 仕事は生活費を稼ぐためにやっている。でもゼルダは、その仕事で稼いだお金をはたいて買って、それで仕事みたいなことをやっている。
 この倒錯が、ジムっぽいなとちょっと思った。


 機械がいろいろ発達したおかげで肉体労働の必要が減った。大阪から東京まで移動するにも飛行機や新幹線やバスがある。徒歩を現実的な移動手段として選択する人はほとんどいない。
 運動をしなくなって、筋肉が衰えたり骨への刺激が減ると体に悪い。寿命が縮む。それでお金をかけてジムに通って運動する。
 運動をしない方向に進んでおいて、逆にお金を払って運動をする。この逆転が、ちょっと似てるなと思った。


 情報技術(AIとか)や社会技術(資本主義的なシステムの転換とか)の発達で、人間が仕事・タスクをこなす必要性が、社会システムの維持に必須でなくなる/激減するような未来が訪れたりするのかもしれない。
 その一方で、「タスクをこなす」が脳の健康維持に必要で、ゲームなりの形でやっぱりお金を出してでもやるような光景を、ジムとの類推で想像していた。
 AIと人間の棲み分けが進み、単純作業だけでなく、創造的な思考(組合せ爆発のような形で一見自由思考に見える)までも、ほとんどAIの仕事になっていく。責任を伴う決断だけが、形式的に人間の仕事として残される。でも「決断すること」が重なると人間にはストレスになる。そのストレス解消のため、AIに任せたはずの仕事をジムのトレーニングみたいに人間がお金を払ってやる。


 稼ぐための労働から人が解放されても、クリエイティブな活動にみんな時間を割くようになるかというと、そうでもないんだろうなとも思う。なんとなく暇を潰して過ごす人の方が多い。1円パチンコや、ゲーセンのコインゲームとかで、高齢者が日がな一日過ごしてたり、自分もYouTubeをダラダラ見てたりする。
 それだけだと体に悪いので、ジムや上手くデザインされたゲームとかで、上手に健康を維持させるようになるのかもしれない。


人間の機械的側面/生物的側面

 人間だと遅過ぎる/効率が悪過ぎたり、人間の負荷を減らしたりする目的で、運動も仕事も人間から取り上げられていく。一方で生物としての人間にとっては、運動も仕事もその機能(肉体的・精神的な健康)維持のために一定程度必要になる。
 人間には、機械としての側面(考えたり喋ったりするシステム)と、生物としての側面の両者がある。一方で不要でも、他方で必要という差があるために、「発展してやめたことを、お金払ってやる矛盾」が色々生じるのだろうと思っている。
 「肉体を捨てて脳のエミュレートだけで人類が存在する」みたいな未来になれば、生物としての側面も捨象されるのかもしれないけれど、そうでない以上は、生物的側面(栄養バランスも運動も睡眠も必要)が存在するので、それへの手当てが必要になって、こういう変なことがあれこれ観察されるのだろう。


お金を払ってでもやりたい仕事

 ゼルダが、お金を払ってプライベートの時間を削ってでもやりたいと思える「仕事」なら、そう思えるだけの楽しい特徴がある。それを「やりがい」と呼ぶとして、やりがいを生じさせる特徴を洗い出してみれば、それとの差でどうしていつもの仕事が嫌なのか(つまらないのか)も見えてきそう。
 以下そうした要素で思い付くものを挙げてみる。(BotW/TotKに特徴的でなく、他のゲーム一般にも見られる要素も含む。)カッコ内はゼルダでのケース、※印は現実の仕事などのケース。

  • 自身のレベルアップを実感できる:自己肯定感の醸成
    • 技術的な上達(操作が上達する。始まりの空島や祠のお題などそのためのチュートリアルが用意される)
    • 手段の増加(特殊能力の獲得、持ち物の増加、知識(やり方のパターン学習)の増加で、やれることが増える)
    • 攻撃力や耐久力の増加(武器や服の強化、ハートやがんばりゲージの増加など)※仕事だとロジックの構築力が上がったり、人的ネットワークが充実したりして、上手く人と協力できるようになったり、責められたりしなくなるとか
  • 怒られない/失敗が許される:自己肯定感が毀損されない
    • 失敗にペナルティが課されない(ゲームオーバーになってもアイテムが減るとかはない。直前のセーブまで戻されるが、こまめにオートセーブされる)
    • トライアンドエラーが許されている
    • 下手でも下手なりにできるようになっている
  • 精神的な報酬
    • 褒められる(祠やお題を達成できるとおなじみの効果音が出たりする)※ダイレクトな誉め言葉でなくても、やってることの意義や大変さを理解してくれてると感じられるだけでも救われる
    • 尊敬される(NPC達が「姫様お付きの騎士」として尊敬してくれたり、ミニチャレンジクリアでプレイヤーを持ち上げてくれたりする)※会社でのランク制度なども自尊感情に繋がったりする。関係ないけど、江戸時代の大名が、政治的な実権のないランク制度:位階を上げるために藩財政を傾けてまで幕府に貢いだ事例を思い出す
  • 新しい発見がある/好奇心が刺激される
    • 無意味な反復作業が少ない(レベル上げ作業がない。素材集めもコログや図鑑登録と組み合わさって反復感が多少軽減される)※逆に穴を掘って埋めさせるみたいな、完全に無益・無意味な繰返しを強いると拷問になる
    • 勉強・研修が楽しい(チュートリアルもストーリーの進展やアイテムの獲得と紐付いていて、ただの訓練ではない)
  • 適度な単純作業がある(素材集めや祠のパズル的要素等)※数独ピクロスマインスイーパなどの作業で頭が休まる。仕事でも片付け、製品検査、パワポの見た目を整える(別に生産性があるわけではない)作業が少し挟まると楽になる。エントロピーを下げる整理のような作業
  • 暇過ぎない/適度に忙しい(人と話せばチャレンジがどんどん発生し、周りを見渡せば祠や穴がたくさんあって、やることが多い)※逆にパソコンも仕事も取り上げられると、人は苦しくなって退職に追い込まれてしまう
  • 裁量・自由度の範囲が広い
    • タスクの優先順位・締切をコントロールできる、やらない選択肢も許されている(いきなり全てをすっ飛ばしてラスボス戦をする、という選択肢さえ許される)
    • 達成のために取り得る手段が複数あり、どの手段を取るかの決定権がある
  • 意義や意味、目的が与えられている(ハイラルの地やゼルダを救うという大きなストーリーから、住民の困りごと解決とそれに伴うアイテムのゲットなど小さな目的までが与えられる)※社会に役立つ、自分のキャリア形成に役立つなど大きな目的があれば取り組みやすい。逆に小さなタスク一つでも目的が不明確だとやる気がなくなる

 

やりがいと賃金の4象限

 こうした「やりがい」を上手くデザインできれば、お金を払ってでも仕事をやれる。似たことが現実の労働で起きると、「やりがい搾取」になるのかもしれない。労働に見合った賃金が支払われなければ、労働者が「お金を払っている」に近くなる。
 やりがいが高くても給与が不当に低ければ「やりがい搾取」になる。やりがいと給料の2軸で見るのだとすると、4象限できる。大雑把には↓のようなイメージでいる。(用語設定はより適切なものがあり得る気がするけど。)


  • やりがいも給与も高い:一番嬉しい。ホワイト職場になる。
    • 例えば臨床医は、社会的意義などの意味でやりがいが高く、給与水準も高く、じゃあホワイト職場なのかというと微妙かもしれない。自由度が低い(激務)、失敗が許されないなど、他のポイントでやりがい度が下がって、ホワイトより3K領域に近いのかもしれない(所属組織や専門領域にもよる)。
  • やりがいが高くても給与が低い:やりがい搾取になってしまう。
    • 以前に某テーマパークのキャストが、ブランディングや教育制度・グレードアップ制度などによって高いやりがいとサービスを維持できても、給与水準はそれほどでもなく、将来性も不明確なので、やりがい搾取だ、といった批判がされたこともあった。上記の「やりがいポイントを満たすよう業務が設計されている」話にかなり近いイメージ。完全なブラック領域に入るよりはマシかもしれない。
    • 教師も、社会的意義や子供たちのためといった面でやりがいが高くても、過重労働に比して給与水準が低いとやりがい搾取になっていく。長時間労働が、コア業務でなく周辺事務作業(自由度が低い、無意味な反復作業)だとやりがい度も低下して、やりがい搾取からブラック領域に近づく。
    • アニメーターは、(特に元請けからの距離が遠いと)給与水準が異様に低くなるが、アニメ業界そのものへの憧れで志望者が確保できてしまい、やりがい搾取と呼ばれたりする。これも憧れ以外の部分でやりがいポイントを毀損しているとブラック領域に近くなる。
  • やりがいは低いが給与が高い:昔でいう3K職場だろうか。
    • 3Kは、本来は単に「きつい・汚い・危険」という職場の特徴を指すだけで、給与水準には触れていないので、用語選択としては最適でないかもしれない。ここでは「大変だが稼げる」ものとしてさしあたりラベリングしている。
    • かつての鳶職やトラック運転手はきついが稼げる職業と言われて、そのイメージ。
    • 最近は6Kと拡大され、その中に「稼げない/給料が安い」が含まれるそう。その場合はこの4象限だとブラック領域に入る。
    • 現代だと、振り込め詐欺などの犯罪が、逮捕されるリスクはあっても(危険)、稼げるという意味で、ここに入るのかもしれない(しかし末端がどれほど稼げているのかは分からない)。(ちなみに振り込め詐欺でも「溜め込んでる老人から富を吐き出させて世代間の不平等を是正する」という(嘘の)意義が与えられて、やりがいのデザインがされていると聞く。)
    • 現代日本だと社会全体の衰退の結果「きついが稼げる」職業は多くなく「きついし稼げない」ものばかりで、この3K領域に入るのが犯罪行為などになってきていたりするのかもしれない。
  • やりがいも給与も低い:一番悲しい。ブラック職場。
    • 「ブラック」という言葉も、定義によりけりで、低賃金/低やりがい(悪環境)の一方しか満たしてなくてもブラック呼ばわりされることもあるけれど、ここではさしあたり両方満たしたものをブラックと呼んでいる。
    • 金融・不動産業界や広告代理店などで、厳しいノルマが設定されたり、長時間労働が常態化したりして「ブラック職場」と呼ばれる。一方で高い給与が得られるのであれば、(この場の区分だと)3K領域になる。

 



 もう全然ゼルダと関係ない。なんか世知辛い話になってきた。

  • なんかゼルダ遊んでると仕事っぽいな
  • →お金と時間遣って仕事みたいなことするのは、ジム通って運動するのと似てるな
  • →仕事はやりたくないのに、仕事っぽいゼルダはわざわざやるなら、どの辺に差があるんだろ
  • →お金払って仕事やるなら究極のやりがい搾取みたいだな
  • →やりがいと給料の二軸で考えると色んな仕事や職場がマッピングできて楽しいかも

という無軌道な連想ゲームの記録だけど、個人の日記は、そうやって「なんか最近ふと思ったこと」を書き留めて記録しておくことに意義がある営みなのだから。