やしお

ふつうの会社員の日記です。

改革者は仲間の顔をして潜伏する

 PTA活動を改善させようと思って広報部長(中学1年)に立候補してみたら周囲から罵倒された上、部長を降ろされてしまった。改善を提案しても同調する者はなく、周りは「くじ引きで仕方なく引き受けた人を周りが支えるのが筋である」「立候補するような人は認められない」と言う。そんな理不尽な一連のツイートを見た。



 この話を読んだ時、徳川吉宗が、自分を将軍に取り立てた恩人がみんな死ぬまで改革を進めなかったって話を思い出した。吉宗は「享保の改革」で有名だけど、本家出身でもなければ長男ですらなく(紀伊徳川家の四男)本来は将軍になるはずのなかった人物だった。外部からやってきて改革をする人の振る舞いとして参考になるのかもしれない。


 吉宗は将軍就任時に33歳だが、22歳で紀伊徳川家を相続しており、11年間の藩運営・藩制改革で一定の成果を上げている。
 7代目の家継が4歳で将軍になって8歳で病没し、尾張徳川家の継友と紀伊徳川家の吉宗のどちらが就任するかという話になった時、老中の中で土屋政直や井上正岑が吉宗を推している。吉宗はその老中たちが死ぬまでは従来路線である質素倹約政策を続け、死んだ後になって本格的な改革(物価政策、適地適産、法治主義への転換など)を進めていく。
 吉宗は側用人政治からの脱却を掲げることで老中の支援を取り付けた。身分・家格の低い者が側用人として重用され老中が蔑ろにされる状況を解消する存在として老中から歓迎される。実際、吉宗は就任後に側用人制度を解消している。ただし、「側用取次」という新たな制度を構築し、実質的には側用人体制を継続させた。側用取次には加納久通・有馬氏倫の紀州時代からの部下を任用している。また形式的には老中が政策を提出するようで、実質的には三奉行・側用取次・将軍が政策立案するような意思決定ルートを構築するなど、死ぬまでただ待つだけでなく、老中の権力を削ぐような手当てを欠かしていない。町奉行は職務の範囲が拡大され、警察・検察機構だけでなく市政全般と政策立案機能も併せ持っており、旗本出身の大岡忠相が取り立てられている。
 なお吉宗は長男(家重)を後継に据えた後、退任に伴って有力老中も一緒に強制引退させている。 側用取次の有馬氏倫の死後、松平乗邑が勝手掛老中に就任し、大岡忠相を実務的なポストである町奉行から名誉職的な寺社奉行に異動させるなどして権力集中が進んでいたが、将軍の代替わりに伴って松平乗邑も老中を解任され隠居を命じられている。(これは乗邑が吉宗の次男を後継将軍として推した結果、家重に疎んじられたためとも言われる。)そして吉宗は大御所として実権を握る。


 そんな吉宗のストーリーを一般化すると以下のような感じだろうか。

  • 「内部から請われてトップに就任した」という形を取る。(あなた方が私を求めた、という形にする。)
  • 就任以前に組織が納得する程度の成果を上げておく。
  • 内部の有力者の既得権を守る仲間のふりをして登場する。
  • 周囲に既得権としがらみのない協力者を作る。
  • 旧来の有力者の力をゆっくり削ぐ。
  • 旧来の有力者が十分に弱体化するか組織から消えるまでは抜本的な変更・改革はせず従来路線を続ける。
  • 退任時に後継を据えると同時に有力者も退任させて権力闘争を抑制する。
  • 後継を据えることで引退後も実権を握る(キングメーカーになる)。


 PTAの話なら、小学校時代にほどほどの役職で、派手にならない程度の実績を積んで、仲の良い親仲間を作っておいて、中1の役員決めでは小学校の時に作った仲間から推薦してもらって「力不足ですが……」とか言いながら仕方なく引き受けた形を作って、2年生の前任者の顔を立てて従来路線を守るふりを最初はしつつ、少しずつ前任者や反対勢力が口出しできない状況を作っていって(具体的にはどうするのだろうか)、そこからようやく改善に着手する。


 こんな手続きやコストをかける価値がこのPTAにあるのか? 吉宗のケースは何せ国家運営だから人生の全部をかけてやる意味が見出だせたとして、たった1年の活動のために、しかもそれで苦しむのが「空気を壊したくない、目立ちたくないから変化を望まない」人たちなら、お前たちで勝手に苦しんでろ、無益な仕事で達成感を覚えていろ、私は降りる、という気持ちになってもおかしくない。
 ゲームだと割りきってやるとか、自分の権力構築技術を試す場にするとか、PTA活動の改善とは別に、権力奪取を自己目的化でもしない限りやっていられないんじゃないか。


 このPTAで敗れた人のツイートに対して、「この人のコミュニケーションが悪かったのでは?」「やり方が悪かったのでは?」と言う人も見かけた。それは恐らく事実で、旧態依然の組織を変えるというのはかなりの手数と根回しを必要とする。ただしこのことは、(先のツイート群が事実であると一旦措定するなら)公正な手続きを経て誰も文句も言わずに就任した人物を、後になって理不尽な方法と罵倒で引きずり下ろして、後出しの文句を言って自分達が正しいような顔でいる人々を是認することを意味しない。
 「その目的にはこの手段が有効である」という話と、「その目的を達する価値がコストに見合うか」という話は別物だ。このPTAの話でも「もっといいやり方があった」と「でもそのやり方で頑張らなくもていい」は両立する。


 この種の理不尽、非合理なやり方に固執して改善を試みる人を排除する現象は、大なり小なり組織一般の中で起こることだと思う。ただ「大なり小なり」の程度が問題で、PTAなどは「大なり」に属し、例えばベンチャー企業などでは「小なり」になるのかもしれない。
 感情と目的、情と理のどちらを優先するかという組織文化が大きく異なる。自分のやり方や考えを否定されても、道理に沿う・合理的な方法があればそちらに従う、という文化がどれくらいあるかで、こうした理不尽の遭遇頻度が大きく異なる。「旧来のやり方に(非効率でも)固執する」のは、そこに既得権があるとか、前任者を否定して感情を損ねないなど、情にまつわる部分が大きい。
 これは、その組織が被る外圧の大きさに相関するのかもしれない。合理的に行動しない場合に組織が存続可能かどうか、その危機感/余裕を構成員がどう認識しているかにかかってくるのではないか。企業であれば利益を上げなければ存続できないが、大企業になれば多少の非合理や失敗でも吸収して生き残れても、中小企業やベンチャー企業ではよりシビアになる。一方で中小企業であっても大企業の下請けをずっと続けてそれに慣れていると危機感が失われるだろうし、ベンチャー企業であってもかえって小さい組織であるために「社長の機嫌を伺う」が目的化するようなパターンもありそうだ。官公庁や学校であれば「組織が存続できない」という危機感は薄いかもしれない。
 良い/悪いというより、組織は人間の集団である以上、内部の情を配慮する力が働く。それは組織の規模や年齢、周囲の環境や、構成員のバックグラウンド(価値観)、トップの性格などにも左右されて強弱がある。内部の情を優先することで、合理性・合目的性が損なわれることがある。この時、外部の圧力に応じて合理性・合目的性の損失がどこまで許容されるかがバランスされる。組織は内部の情によってズレるが、外部によってズレ量の許容量が規定されるため、理によってズレを戻す力が働く。こうして組織ごとに情と理のバランス(どちらをどれくらい優先するかという感覚や文化)が発生する。そんな光景があるのではないか。


 組織存続の危機感が薄い=余裕がある場合、外部との関係(組織本来の目的)に対して合理的であろうとするより、内部に対して調和的であろうとする。理より情が優先される素地が生まれる。PTAの本来の目的が保護者と教師の連携によって児童の幸福や教育効果を高めることにあって(Parent-Teacher Associationの略なのだから)、しかし時代や環境の変化でその活動が本来の目的との間に齟齬を生じさせていても、外圧が少なく合目的的でなくても存続の危機にさらされないのなら、その齟齬は放置されるし、それどころか積極的に維持される。そんな機序が働いているんじゃないかと漠然と想像している。情優先の組織を理優先に持っていく技術や方法論もまたあるのだろうけど、それも「そこまで手間をかけて自分を犠牲にして変えるか?」という話になってきてしまう。


 この話を聞いたときに「もし本気でやるなら(吉宗みたいな?)方法が参考になるかもしれない」という気持ちと、「でもそんな人達ならもう放っておけばいいじゃん」という気持ちの両方が湧いてきて変な気持ちになったから、一旦自分なりに整理して吐き出した方がスッキリするかと思って。
 精緻な方法で組織改善を成し遂げた話を聞くと「すごい!」と思うし気持ちがいいけれど、でももしやってみようとしたけど方法が十分でなくて失敗した人がいたとしても、それを貶すのは違うかなという気はする。


※吉宗の話というか江戸時代中期の政治体制や経済政策の変遷については、ほとんど大石慎三郎『将軍と側用人の政治』に依拠していて、以前補足を入れながら↓でまとめ直した認識に基いている。もっと参照先があればより正確に書けるのだけど、その力がまだない。
  江戸時代中期の経済政策 - やしお