やしお

ふつうの会社員の日記です。

年功序列の賃金をやめる話

 会社が今年から年功序列型の賃金制度をやめるという。(自分は大手メーカーに勤めている。)
 あらためて年功序列って何だろうとか、それをやめる意味って何だろうというのを自分なりに整理してみたいと思った。


労働者の生産性

 新人は最初は仕事ができなくても業務を覚えてそれなりにこなせるようになっていく。その後、経験を積むに従って仕事の能力は伸びていくが、新人の時ほど劇的に伸びることはない。「仕事を実行する能力」をさしあたり「生産性」と呼び換えると、年齢と生産性の関係は下の対数のようなグラフになるとここでは考える。


 
 異動して新しい職場で一時的に新人に近い状態になったり、自己啓発や昇進によって能力が開発されたり、あるいはやる気を急に失ったり、年を取って新技術についていけなかったりと、個別に見ていけば上下する。



 しかしここでは押しなべて(労働者間で平均すると)対数のようなグラフになるものと見なしている。


生産性と年功序列の関係

 年功序列型の賃金は、年齢を重ねるに伴って賃金を上げていくシステムとなる。



 生産性と賃金を重ねてみる。



「年齢に対して能力は比例的には伸びない」という生産性の話と、「年齢に対して賃金が上昇する」という年功序列型賃金の話を重ね合わせると、「年齢が低いうちは能力に対して賃金が低く抑えられ、年齢が上がると能力以上の賃金を受取れる」という話になる。
 要するに「なんで自分と働きが変わらないあのジジイの方が給料高いんだ」ということが起こる。



 賃金が生産性を上回っている期間(緑の領域)は労働者にとって得で、下回っている期間(赤の領域)は損ということになる。
 入社したてで仕事はできないけれどそこそこの給料が貰える「新人期」、そこそこ仕事もできるのに給料が安い「搾取期」、特に仕事の能力が上がっているわけでもないのに給料が増えていく「回収期」と仮に名付けられるのかもしれない。


 これは相対的なもので、世の中にとって価値の高い商品を出しているとか下請けや派遣社員を搾取しているといった理由で賃金が高ければ「ずっと回収期」になるだろうし、ブラック企業に勤めて不当に賃金が安く抑えられていれば「ずっと搾取期」ということになる。
 あくまで同じ会社の中で相対的に、「能力の割に貰えない人(若手)」と「能力の割に貰っている人(ベテラン)」に分かれるという話だ。


年功序列と終身雇用と総合職の関係

 年功序列型の賃金制度の下では回収期を全うしなければ損なので、定年退職まで勤め上げたいというインセンティブが労働者に働く。そのため「新人を一括採用して定年退職まで同じ会社で働かせる」という終身雇用の人事スタイルは年功序列型の賃金と不可分で一体のものとなる。
 新卒一括採用という形態も「会社で長期的に育てる」ことを前提にしているため終身雇用との相性がいい。


 また終身雇用という形態は「潰しのきかない技能」の習得にとって有利に働く。潰しがきかない、他の会社では役に立たない技能は、もし会社を辞めてしまえば無駄になってしまう。終身雇用が保障されておらず転職する可能性がある状況下では、そうした組織特殊的な技能の習得に没頭するのは危険だから忌避される。
 製造業などのごく特殊な製品の職人的な技術であったり、社内の人的ネットワークだとか、取引先の人間関係だとか、社内文化、社内ルール、全社的な産業構造といった、よその会社に移れば無価値な知識等がこの組織特殊的な技能にあたる。


 他の部署への異動や、子会社や支店への転勤などを繰り返すことで労働者にそうした組織特殊的な技能を習得させ幹部社員を養成していく。これは一般に総合職(ゼネラリスト)と呼ばれる。
 例えばアメリカの企業や組織にも管理職・マネージャーが存在するとしても、必ずしも一つの企業に留まるわけではなく、実績を積んで他の会社のよりより空きポジションに応募していくといったキャリア形成の仕方をするのであれば、それはゼネラリストというよりマネジメントのスペシャリストと呼ぶべきかもしれない。


 年功序列型賃金、終身雇用、総合職といった日本の大企業に見られる人的資源の管理スタイルは、それぞれが独立しているわけではなく不可分・一体のものになっている。


年功序列と職能給の関係

 年功序列型の賃金体系といっても、ダイレクトに「入社年次(年齢)で給与を決める」というルールが設定されているわけではない。
 普通は「社員の能力に応じて給与を決める」という建前を取っている。この制度を職能給と呼ぶ。正確には「職能資格制度」と呼ばれ、等級や資格を社員に設定し、それに基づいて給与の額が決まる。名称や区分などは異なってもおおむね以下のようなルールで成り立っている。

  • 「資格」と「級」によって社員はランク付けされる(例「一般職9級」「管理職2級」など)
  • 資格は昇格試験に合格することで上がる
  • 級はポイントが一定以上に溜まると上がる
  • ポイントは定期的(半年ごとなど)に付与される。付与される量は評価によって決まる(マイナスのポイントもある=降級もある)
  • 昇格試験は級が一定以上に上がることで受験資格が得られる(例「基幹職3級以上で管理職試験を受験できる」など)
  • 給与は、資格・給+評価で決まる


 昇格試験に受からないと途中で頭打ちになる、昇格時に飛び級ができる、評価が高ければポイントの付与が大きくなるので早く級が上がるなど、「社員の能力で給与が左右される」側面がいくつか設定されている。しかし「定期的に付与されるポイントが溜まらないと昇級=昇給しない」という制度設計によって、全体としては年功序列的になる。職能給が年功序列型の賃金制度となるのはそのためだ。
※資格はなく級のみがあり、各級には「最低滞留年数」「最長滞留年数」が設定され、等級は一つずつしか上がらない、といったよりシンプルに年功序列的な制度設計もある。


 職能給では「能力とは経験を積むことで上がるものだ」という建前が前提されている。しかし最初に見たように、仕事をこなす能力が加齢とともに比例的に上昇していくと見なすのは現実的ではない。職能給は(その名称とは裏腹に)能力を給与に反映させた賃金体系ではないという矛盾を内包している。


 建前上は「能力に応じた給料」としながら実態は「年齢に応じた給料」であることによって職能給は、年功序列型賃金=終身雇用=総合職という三位一体を支える、日本の企業独特の制度になっている。


職能給と職務給

 職能給とは異なる給与決定システムに職務給がある。能力に対して給料を出すのか(同一能力同一賃金)、仕事に対して給料を出すのか(同一労働同一賃金)というコンセプトの違いになっている。(ただし職能給で言う「能力」とは年齢に紐付いたものである。)
 今回会社が「年功序列の賃金をやめる」というのは「職能給から職務給に制度を移行する」ということに相当する。今回変更になる新制度では、実際の業務の役割から等級を決定し、給与はそれと目標達成度(これは従来と同様)に基づくという。


 この変更によって昇進に関する制約がなくなる。職能給では一定の資格を得ないと役職に就けないという制約があるため、仮にマネジメント適性のある若手社員がいたとしても課長にすることはできないし、能力の高い若者がいても高い給与で報いることが難しい。(自社の制度で試しに計算してみたら、早くとも30代後半でないと課長にはなれないようだ。)
 ちょっと将棋の名人戦竜王戦の違いに似ているのかもしれない。名人はC級2組→C級1組→……→A級と昇級してA級で1位にならない限り挑戦権が得られないため、若手棋士がいきなりなることはできない。一方で竜王はトーナメントを勝ち上がりさえすれば若手棋士でもいきなりなれる。(ちなみに谷川浩司は21歳で名人になっていて「若手棋士でもなれるじゃん」という気もするが、14歳でプロ入りしているため7年はかかっている。)


 一方で職務給はゼネラリスト(総合職)を作り上げていくというスタイルとは馴染まない。異動や転勤によって、今までの職場では指導的な立場にいた人が逆に指導を受ける立場に移った場合、職能給では「本人のポテンシャル自体は変化していない」と見なして降給はされないが、職務給では「果たす役割が変化した」と見なして降給されることになる。会社都合で強制的に異動した結果、給料が下がるというのでは労働者が納得するのが難しいため、会社都合での異動が抑制される。


 また職務給は終身雇用に対するインセンティブも働かず、組織特殊的な技能の習得に対するインセンティブが働きにくい。新卒一括採用も「企業が長期的に育てていく」という前提を考えると職務給とは馴染まない。


職能給と職務給の歴史

 戦後、アメリカ型の雇用形態を目指すという考えの中で職務給の採用が日本企業の目標とされ、職務給に移行する中間形態として職能給が誕生した、しかし職能給の方が定着して職務給は普及しなかったという指摘が↓でされている。
  https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20180611145831.pdf?id=ART0010083428


 団塊の世代が生まれた年(第1次ベビーブーム)が1947〜49年、高度経済成長が1954〜73年、労働省主導で「集団就職列車」の名称の列車が運用開始されたのが1963年、中卒労働者を指した「金の卵」が流行語になったのが1964年だった、という状況を考えると職能給が定着した理由もわかるかもしれない。
 太平洋戦争によって20〜30代の労働人口が大きく失われた一方で、景気の急拡大に伴って労働者の確保が急務になる。義務教育を完了したベビーブーマーを労働力として確保する。教育が不十分である以上、企業側は自社で教育する必要がある。教育を施しても他社に移るのでは困るため、年功序列型賃金=終身雇用制によって労働者を囲い込む。


 職務給を目指すという建前と、年功序列型賃金を成立させるという実態の矛盾の中で、徐々に洗練され確立されていったのが職能給なのではないかと想像している。
 そして「ジャパン・アズ・ナンバーワン」(1979年)と言われ「これは世界的にも優れた制度なのだ」と思うようになればもう職務給へ移行させようとはならない。こうして職能給が形成・定着していったのではないかと想像している。


職能給と氷河期世代

 「新卒を取って会社で教育する」が当然とされ労働市場流動性が低い社会では、新卒で上手く会社に入れなければ終わりということになってしまう。社会の側も労働市場流動性が低いことを前提にしていると、「会社の外で教育する」という発想が乏しくそうした教育機関も機会も充実しない。労働市場が硬直的であれば、会社は労働力の調整を「新卒をどれだけ取るか」という一か所のバルブのみで調整しようとする。新卒時にあぶれてしまうと誰も教育を施してくれずに取り残されてしまう。
 運悪く景気の悪化しているタイミングで新卒になった人々は人生を破壊される。こうして「氷河期世代」が生まれる。


 職能給は高度経済成長に最適化された制度である反面、「景気が後退する」、「出生率が低下して新卒新人を確保できない」、「産業構造の変化が早い(長期的な教育がマッチしない)」といった状況下では弊害が大きいのかもしれない。


職能給から職務給へ移る意味

 今年自分の勤める会社が職務給へ移るが、他のメーカーでも移行したとかするとかいうニュースをちらほら聞く。
 30年弱を無理やり(氷河期世代派遣社員を踏み台にして)生きながらえさせた職能給というシステムがようやく限界を迎えたと言えるのかもしれないし、60年前の夢が再び現れたと言えるのかもしれない。


 異動その他に関する社内的な制度はそのままなので、職能給がもたらした慣習の残滓が職務給に移ったあとどう折り合いをつけていくのか、あるいは破綻するのかも見てみたいし、この先もし職務給を採用する企業が増えていくとするなら周辺環境(労働市場教育機関)も連動して変わっていくのかどうかも見てみたい。