やしお

ふつうの会社員の日記です。

カレーライスのライスだけ食べて満足している人に

 この前「苦痛と引き換えに高次の快楽を得る「禁断の果実」」というエントリ(id:Yashio:20110116:1295186290)で書いたことについて、もう少し。


 小説や映画でストーリーしか見ていない人というのは、例えばカレーライスを目の前にしてご飯しか食べてない人みたいに見えるんです。
 そして私達は、ああ、カレーも味わってくれれば、と心の底から願います。カレーのソースの中には、じゃがいもや、にんじんや、タマネギや、肉や、そしてルーが混じり合って、それがライスと組み合わされて最高のおいしさがそこにあるのに、あなたは、おぉ、ライスしか食べない! それはカレーライスを食べていると果たして言えるの! カレーライスのおいしさを知ってほしいと願うのは人性の自然です。
 それで私達がおずおずと、そこにカレーがあるんですよ、と言っても相手は
「うーん、でもご飯おいしいから、別にいいや」
とやんわり断るんです。そんなわけの分からない黄色いぐちゃぐちゃしたものは、何かよくわかんないし、いいや、というわけです。
 そう、たしかにそのカレーライスのご飯はおいしい。でもご飯はほかにも牛丼やおにぎりや、まあ単体でも食べるものです。そう考えるとご飯はカレーライスに固有のものじゃない。ストーリーは小説でも映画でも漫画でも実現可能な要素です。
 ただ、それ以上言い募ればウザがられると知っているので私達は
「うんそうだね、ご飯とってもおいしいね」
と言って寂しげな顔で引き取るよりしょうがないんです。うん、ご飯がおいしいだけでも、とっても嬉しいもんね!


 小説にとってのカレーのおいしさは義務教育の国語の授業で教えてくれる種類の歓びではないので、あまり知られていない。もったいないな、知ってくれたら、と思うんです。せめて、そういう歓びが世の中に満ち溢れているいろいろに、それぞれ潜んでいるんだ、ということだけでも知ってもらえれば、と願って止まないのです。ささやかな願い。
 そして批評というのは、変なカレーライスの、そのおいしさの秘密、なぜおいしいのか、どこがおいしいのかを明かしてくれる存在なので、とってもありがたい。やっぱりカレーライスのおいしさを知ってしまうと、少しでも今までと違うカレーライス、もっとおいしいカレーライスを食べたくなるんだ。
 でも「俺はカレーを知ってるんだぜ、お前らみたいに知らない馬鹿とは違うんだぜ」なんて態度にだけは絶対にならないように気をつけないといけません。たまに勘違いしている人もいますが、知らないのはその人たちが馬鹿だからではなく、単に知るきっかけがなかっただけの話です。
 ただ、真においしいカレーライスを作る人たち、あるいはそんな優れたカレーライスのおいしさの秘密を、作り手たちすら意識していないレベルで説き明かしてしまう批評家たちは馬鹿じゃ務まらないのは確かなので、よくよく大切にしないといけない。