やしお

ふつうの会社員の日記です。

宮崎学『法と掟と』

http://book.akahoshitakuya.com/cmt/15046329

本来ボトムアップ(掟→法/個別社会→国家)で成立した過程を忘却し、トップダウンな構造と誤認する=法や国家が掟や個別社会に優先すると見做す習慣が蔓延すると、個別社会が弱まり世間の力が強まる。日本でその傾向が強いのは、明治期にプラットフォームを輸入した際スピード優先で個別社会を潰して上からシステムを多い被せたから。さらに個別社会が簡単に潰れたのは徳川時代に既に諸中間勢力がお上の物だったから……といった要約は本書に対して無力。全体の主張と同じ精神で、抽象に走らず具体的な現象を語り続けるのが本書の魅力なので。


 個別社会の弱さと全体社会の強さというのは本書を読んでみると、お互いがお互いを引き寄せるようで、揺れながら落ちていくシーソーというのか、底へ続く螺旋を降りていくというのか……
 本書だとここから抜け出す方法については、個々人でがんばれ、アジアへ出て行け、ということ(それはつまり個別社会を強化するということ)になっていて、確かにそれはその通りで、実際に本書によって認識を新たにした誰かが実行に移す可能性はあるにしても、個人の意識に還元して全体的に解決されるとはとても思えないほど暗澹としているというのが正直なところ。(そこには希望を見出すのは困難だろう、という認識です。)というか柄谷行人の『「世界史の構造」を読む』を読んだ後だとなおさら構造として変化しない限りは変わらないだろう、と思わせられます。