やしお

ふつうの会社員の日記です。

ベルナルド・ベルトルッチ『シェルタリング・スカイ』

 主人公の女が言葉の通じない砂漠の部族に引き取られて旅をしていくわけですけど、最初はちやほやされてるんですね。それが一転、彼らの町につくと女達の嫉妬を買って家を出、市場で騒ぎを起こして部族の人にめちゃくちゃにされる。これはね、たぶん女が部族とのコミュニケーションを欲したことでバランスが崩れたからだと思う。
 女が異物として混入する機会は二度訪れる。一度目は砂漠でキャラバンに加わる時。二度目は隊が町に帰着した時。
 一度目は、言葉が通じないから何、別に? ぐらいの感じだったのね。実際女はしゃべりもしないし。夫を亡くして自暴自棄になってることも手伝って。部族の人達を歩かせて自分はラクダに乗って、当たり前みたいな顔してる。これはこれで安定してるんだ。特別扱いされて安定した構造。円錐の上に球が乗っかっててちょうどバランスしているというような安定状態。ただし、ほんのちょっとでも刺激が加わればそのまま落ちてしまうような安定なのね。
 それが転げ落ちたのが二度目。町の小屋に入って、男にかしずかれてるまでは良かった。でも女の体を洗いながら、部族の言葉で爪先、ひざ、太もも……と呟く男の言葉を、女が自分でも口にしてしまった。これがいけない。ここでコミュニケーションが成立してしまう。それから小屋の周りで部族の女が変な歌を歌い上げて主人公を非難(?)する。これに応えて主人公が小屋を出てきてしまう。これがまたいけない。そして市場に出てきた主人公が変な食べ物をドルで買おうとする。「本物のお金よ、受け取りなさいよ、どうして私の言うことが分からないのよ!」といったことを苛立ちを押さえもせずに叫ぶ。これは決定的にいけない。部族の人々がわらわらと群がってきて女を取り囲む。結局、女は足に部族の入れ墨を入れられる羽目になる。引きずり下ろされたんだ。言葉を交わして分かり合えることを前提にしたら、もう特別な存在ではいられない。自分たちと同じところまで引き下ろさずにはいられない。そうして完全な安定状態に至ろうとするのが、ここの姿なのだ。


 そういえば、まだ無名の若いタモリが知人の家に次々と転がり込んでいたころの話。長逗留して許されるコツは、「泊めてくれてありがとう」という態度ではなく、「この私が泊まってやってるんだ」くらいの態度でいることだという。映画と関係あるのかどうかは知らない。