http://book.akahoshitakuya.com/cmt/28696094
一般性−特殊性のラインとは別に単独性ってものが考えられる。その単独性は把握が難しく容易に一般−特殊のラインに回収される。デカルトやスピノザ、マルクス本人は単独性を見てたけど、そこを無視することで後にデカルト主義やマルクス主義が生まれる。って話聞くと、光速度cやプランク定数hを実測するのは大変でも、それを無視(c→∞/h→0に近似)して古典力学だけ見るとどうしても説明できない現象が確かにあるって話に似てる。本書では単独性が固有名や無限、観念、神、社会性、貨幣、超越性、他者としてどう現れるかを見せてくれる。
まったく個人的な話だけど、2006年くらいから相対主義的な認識でものを見始めた。「手放しで正しい真理などない」、「正しいということはその根元でどうしようもなく主観を含まざるを得ない」、「ある結論の正しさをさかのぼってもどこかで、これはこうであるとする、という決めつけが訪れる」、「相反するような結論を導く別の体系があったとしても、どちらかが間違っているとは限らない/それぞれが正しい(前提が異なるだけ)ということは十分あり得る」、みたいな認識。
それは直接的には、「そもそも生きる意味ってあんのかな」っていう遅れてきた中二病みたいなことを20歳にもなって考えたことがきっかけだった。
自分だけでなく誰にとってもそうであるような(客観的な)生きる意味っていうことは、いくらでも考えられる。家族にとって、学校にとって、生物界(?)にとって、こういう意味があるっていう言い方は客観的にできる。でもそうすると今度は、その家族なり学校なり生物界なりが存在する意味は何か、という問題が立ち上がる。今度は社会なり地球なりのより大きなシステムを考えて説明することになる。でもその社会なり地球の意味って話にまたなって、次々にシステムを広げて考えること=前提の前提を問い続けて行くことになって果てがない。
果てがあるとすれば、それはそうした前提をさかのぼる作業を主観的に止めたときでしかない。「これはこうであるとする」ととにかく決めることにしかない(神とか)。
それで、客観的な生きる意味などない、あるとすれば(意識するかどうかにかかわらず)自分がこうと決めたことしかない、ってことになった。そう考えるとすごく自由なかんじしてうれしかった。
そういう視点で眺めてみると、例えば数学にしても物理学にしてもたしかにそうなっているように見える。それまで数学や物理学は絶対的な真理を示していくものみたいな思い込みがあったけど全然ちがう。はっきり前提(公理、仮定)があって、そこからは正しい手続き(演繹的に誤りのない手続き)で進んでいってる。
ただ、前提の定め方には、一番シンプルで、数少ない前提で、より多くの現象が語れることとか、物理学で言えば実際の現象と背反する結論を導かないような前提を選ぶとかいった方針があるだけで、前提それ自身が客観的に正しいことを保証するものじゃない。
そんな視点で今まで当たり前だと思ってた道徳なり通念なり、あるいは小説なり批評なりをせっせと見直してみたら、目からウロコって感じでどんどんすっきりしていった。
(この前提を採用する限り)これはこうじゃなきゃダメだし、あれはこういう結論になるし、これはどっちでもいい(採用した前提からは確定されない)っていう風に、今までひしめきあって対立し合ってた「真実」たちが次々にすっきりと自分の収まるべき位置に収まっていく。
すごくおおげさな言い方に聞こえるかもしれないけど、「世界の見え方ががらっと変わる」みたいな体験を確かにしたんだ。
それで6年ほど経つとそうした見方で見ることも当たり前になってくる。今でもそんな視点で改めて疑って見直すという作業は続けていてそれなりに、あ、こんな風になってたのかって驚きやうれしさはある。
ただ、あんなに世界の見え方が一変するみたいな体験まではいかなくて、でももう一度起こらないかなとずっと期待してる。
なにせ相対主義的な考え方で見るということは、その相対主義的な考え方自体も絶対視しないということなので、自分がその採用を辞めざるを得ないような瞬間と、その先の視界が変わる体験を排除するようなものではないしね。
でもなかなか相対主義的な考え方をはみ出て、その考えでは捕らえきれない現象に出会えていなかったので、考えを修正するには至らなかった。そのうち、ひょっとしてもう死ぬまでの間に出会わないのではないか、と少し落胆し始めてきてた。
でもついにそれを見せてくれたのがこの「探求II」なんだ。
ダイレクトに、相対主義的な考え方を採用しているとこういう部分(単独性)を見逃しますよ、みたいな話だったから。どこに単独性が現れていて、それがどのように把握しづらく、今までどうやって見過ごされてきたかを本書では見せてくれる。それもかなりいろんな例証をあげて見せてくれてる。
まだ自力でいろいろなものの上に単独性を見出して、相対主義的な視点だけで把握する場合との差異がどう現れてくるかを見極められるほどの力はない。でも、しんどいながらもふんばってよく見て、だんだんその作業が自力でできるようになってきたとき、またあの世界の見え方が変わる体験が訪れるんじゃないかって期待してるんだ。
そうした期待を持ち得ること、生きててこんなにわくわくするってことはないよ。
- 作者: 柄谷行人
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1994/04/04
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