本を読むときはふせんをぺたぺた貼りながら読んでる。
貼るときの感覚はツイッターで他人のツイートに「お気に入り」ボタンを押す時の気軽さに似ていて、読み返すときの感覚は映画を観終わった後で予告編を見直す感覚に似ている。そうそうこんな場面があった、あんな場面があった、っていう。
よくライフハックか読書系ブログで「ふせん貼りながら読むとこんなにいいよ!」とか「読書ノートを作るといいぞ!」ってオススメしてる記事を見かける。そこで語られるメリットについてはその通りだとは思うけど、他人にオススメすること自体はそんなに効果がない気もする。
めんどくさいことをあえて継続してる状態は、めんどくささと個人的な必要性とのバトルで必要性が勝ってるからそうなってる。他人から「こんなメリットがあります!」と言われることで確かに「それっておれに必要なことかもしれない!」ってなって継続することも絶対ないとは言えない。でもそうして外部から結論だけ導入された必要性が持続するのは珍しい気がする。むしろ個人的な必要性を自然に感じてはじめたものだけが残されていく傾向にあるように思える。
少なくとも自分の場合は、
- 本を読まない(満足)
- 高校生になって小説とかを一冊も読み通したことないってかっこわるいかな?(不満)
- ただ本を読んで終わり(満足)
- あとで全然内容覚えてないのはもったいない感じするなあ(不満)
- 夢と同じで反芻すれば記憶に定着できるじゃん! そうしよう!(満足)
- でも毎回読み終わるたびに反芻するのめんどいし続かない(不満)
- 人に見られるところに短い感想文書けば続けられる!→読書メーターで感想の投稿をはじめる(満足)
- 感想文書くとき「たしかこんなこと書いてあったな」って読み返そうと思っても見つからない/何書こうか思いつかないときに読み返すのが面倒(不満)
- 読みながらふせん貼っていけば読み返すのが楽!(満足)
っていう、不満と満足のサイクルを経てふせんを貼るに至っている。そこまでに10年くらい。そうやって自分にとっての「必要性」が順番に生まれていった果てにそうなってるだけだから、それ以前の時点(プロセス3とか5の段階)で「ふせん貼るといいよ!」とかいう話を聞いても「めんどくせえ」で済ませてた。
他人に「ふせん貼るのおすすめ!」って言って効果があるのはせいぜい、ピンポイントでプロセス8くらいの人に対してだけな気がする。
そうやって必要性が出てきたとしても、そのときめんどくささの方が勝っちゃうとやっぱりやらなくなるから、そのめんどくささのハードルを頑張って下げるような工夫をすることになる。
例えば感想文を書くのに最初、はてなダイアリーでやろうか、ブクログでやろうかとあれこれ迷って結局、読書メーターにした。書き始めるとついつい字数が増えちゃうんだけど、そうするともう書くのがめんどくさくなって続かない。でも読書メーターは「255文字まで」っていう潔い(?)制限があるからギリギリめんどくさくない範囲で気に入ってる。あとはよっぽど書いておきたいこと(必要性)があればはてダにでも書けばいい。
ふせんを貼ることについてもそう。最初は線を引こうかとも思ったけどペンを出すのも、線引くのに失敗して書き直すのもめんどくさいからぜったいに続かない。それでふせん。紙のふせんだと文字にかかると読めなくなるし、かといって上の方につけると長く飛び出してじゃま。ってわけで最終的にこれにおちついた。
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下半分が透明で文字が読めるし、片手で簡単に1枚ずつ取り出せる。貼り直してもヘタらない。これを文庫や新書のブックカバーの袖に貼り付けておいていつでもすぐに貼れるって寸法。ようやくお気に入りボタンを押すのと同じくらいのめんどくさレベルに落とせた。
そのうちノートを取ったりするようになるのかな、と思ってるけど、無理には始めない。そんな方針。