やしお

ふつうの会社員の日記です。

20代後半で結婚のリアリティが消失

 27歳だけど、もう自分は結婚とかしないのかもね、って気になってる。
 そんなこと言うと「いやいやまだ早すぎでしょ」と言われるけど、今にして思えば「結婚しなきゃ!」と一時的にでも思ってたことの方がよっぽど変だったな、という感覚。


 学生のときは自分が結婚だなんてまるっきり想像の外だったのに、22歳で就職して、いきなり同期がいっぱいできて、仲良くなって、地方から出てきてもの珍しい都内にあっちこっち遊びに行ったりなんかしてたのに、彼らが学生の時から付き合ってた彼女や、こっちに来て知り合った人とか、同期の女性とぽろぽろ結婚していって、なんとなく遊びにも誘いづらいなあと思って疎遠になってく。
 同期に限らずびっくりしたのは、職場でも「結婚するのが普通」みたいな感覚がしっかりあったってこと。そういう通念が生きてる世界って経験なかったから。


 就職した直後は、とにかく自分を急いで作り変える作業にいそがしかった。自覚的にそうしていたというより、周りの人間に肯定的に見てもらえていないと生きるのがつらすぎる、という学生時代の反動で勝手にそうしていたという感じ。全く知り合いもいない世界に入ったんだから、これまでのキャラの一貫性なんて気にする必要ないし。
 そうした関係で、「結婚するのが普通」→「結婚しないというのは何か本人に欠点があるからだ」という通念をそのまま内面化してしまったのかもしれない。無能だと思われたくない! みたいな。あんなみんな結婚とかしてて、ぼぼぼぼくができないなんてわけない! 証明してやる! みたいな。


 もちろんみんな(ぼくも)口では「最近は結婚しない人も増えてきてるしね」とか「なにも結婚が全てじゃないから」とか言うし、頭でもそう考えてるけど、そうしたことを口にする感覚自体がそもそも「結婚するのが普通」をあいまいに前提してたりする。
 今思えば、結婚の話(ひいては彼女つくりなよーみたいな話)をするというのも、遠回りの自己肯定、「私はきちんと結婚できた無能ではない人間なのだ」というかすかな自慢だったりもするのかもね。ただそうした隠微な自慢は、自分の身にまったく覚えがないわけでもないので(結婚とは別の話で)あんまり責めたりはできない。


 それで就職して23,4歳くらいのころは「こここ婚活!?こ、婚活か!!??」みたいな気持ちになったりはして、一応合コンに行ってみようとか、誘われたら断らないようにしようとかしたし、実際、結婚したいなとほんきで思ってた。
 でもなんだかめんどくさくなっちゃって、もう26歳くらいのときはだいぶ結婚欲も希薄になってた。
 もしかしたら、職場とかである程度自分の仕事を肯定されている、抜群に優秀ではないにしてもある程度仕事をやれる人だと思ってもらえてる、という自意識ができたし、もう同期やら何やらにも「彼女を作る気力が希薄な人」と思われてるだろうなという自意識も固定されてきて、「作り変え」が一巡したってことがあるのかもしれない。現状であるていど肯定感をもって生きていける以上、もう「ちゃんと結婚をした人」になってさらに見栄をはる必要は薄くなったというか。


 結婚したいぞ!と思ってたとき、その理由はこうだと思ってた。
・話し相手が恒常的にいるのはありがたいだろうな。
・おじいさんになって生活で協力できる人がいないとつらそうだな。
・子供を育ててみたいな。(現行システムだと独身で養子は無理だし)
 でもそうした考えは、結婚したいとそれほど強く思ってるわけでもない今でも別に変わってない以上、結婚したいと思ってた原動力ではなかったんだ。ただ自分の欲望を説明して納得するための装置だった。



 結局なににびっくりしたかって、もともと全く「結婚したい」なんて考えてもなかったのに、社会通念の圧迫があればきちんと、疑いなくそう自分でそう思って動かされたってことだよ。何も考えてなかったわけでもないのに、知らずにそうしてた、という驚き。


 でも一方で、20代の後半くらいでぱたっと、うん、ま、いいや。と思えてしまう程度に、人を結婚に向かわせるそうした社会通念の圧迫も弱体化してるんだな、という感想も持ったよ。数十年前ならもっと、社会通念としても社会システムとしても結婚しないと楽に(肯定的に)生かしてもらえなかった社会があったのかな、と思うと、そんなのいやだなって気もするし、いっそそうだったら幸せなのかもねって気もする。


 ま、サンプル数1の話なんて他愛ないけど、個人的な実感はこんなかんじです。