やしお

ふつうの会社員の日記です。

たまたま成功しただけで他人バカにしたりしてこわー。

 このまえ仕事中に、とある装置の取り付け作業をしてた。すんなり取りついた。そのあと外して、もう一度取り付け直したら、ぜんぜんうまくつかなかった。うーんうーん10分くらいやってついた。1回目はたまたま位置あわせがいきなりぴったりいって上手くいっただけだったんだって気づいた。
 もし自分が上手く取り付けられた体験だけしてて、後輩(架空)が上手く取り付けられなかったりしたら「おっまえ不器用だなーっ」みたいなこと言ってバカにしてたかもしれない。別に後輩がぼくより不器用で劣ってるってわけでもないのに。


 装置取り付けくらいの話だったら、
「えー。だったら先輩もやってみてくださいよ」
「いいよ。あれ、あれ?」
「ほらーっ」
「ほんとだ難しいね。えへへ」
「ちょっと、すぇんっぱぁーい。ほらぁー」
 みたいな感じで、別に後輩も自分も器用さに差がある訳じゃないんだってことにすぐ気づける。でももしこういうことが人生単位で起こったら、「もう一度やって確認する」ことができなくて気づかずに他人をバカにし続けるのかもしれない、って思ったらこわー。


 例えば草食系でございみたいな人が大学で同じ研究室にいた女性と結婚したりする。その人が同じような草食系でございの人に向かって、もっと積極的にならなきゃだめだよみたいな半説教みたいなことを言う。
 もしたまたま同じ研究室にその女性がいなければ、その既婚ネクラも今の独身ネクラと変わらない生活を送っていたのかもしれないのに。成功者みたいな顔して他人をバカにし続けるんだ。


 歌手とかバンドとかでもありそうだ。
 それなりに有名で成功したバンドマンがインタビューで「俺はこう努力したから成功した」と得々と語る。それを見て、その人と同程度に優れたアマチュアの人が(その程度の努力みんなやってらぁ)と思うのだ。
 そうした努力は「成功」の必要条件かもしれないけど、十分条件にはなってなかったりする。本人も意図せず消費者ニーズにぴったりあっちゃったとか。


 もし人生10回プレイしたら二人ともそのうち9回は失敗するけど、たまたま今回一人は成功の1回に上手く当たって、もう一人は順当に(?)当たらなかっただけだった。なのに上手くいった方が上手くいかなかった人をバカにしてる、みたいな事態はけっこうごろごろしてそう。本人は自分の努力や能力のおかげだ、と思い込んでるという。
 成功した方はつい(俺ががんばったからだ!)と思ってしまう。もともと自己肯定したいっていうバイアスは常にかかってるし、結果から原因を措定するのはどのようにでも可能だしね。ほんとは、自分が「すごい」から「成功した」と言い得るのではなく、「成功した」から「すごい」と後から言い得るだけかもしれないのに。


 片山さつきとかが「私は努力してこのキャリアを築いてきたのよ!(あんたたちは努力が足りないだけ!)」みたいなことを言うと、そうだね。でも同程度の努力や資質のある人でも「たまたま」あなたのようなキャリアを築けないこともあるよね、という気になる。


「私はできた」、だが「こいつはできなかった」という差異の根拠を、因果論的に、しかも浅はかに求めようとすると、「私はこいつより優れているからだ」という認識に至ったりする。しかも「できなかった自分」を体験してないせいで、自分ではまるっきりそれを信じちゃってる。こわー。


 それにしても片山さつきのこと引き合いに出したりして……。
 ごめんね。さつきごめんね。がんばって生きてね。