やしお

ふつうの会社員の日記です。

ブクマコメンテーターは被炎上者のきもちなんてわからない

 ちきりんの「ネットで議論はしない」という話(http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20120813)や、kubomiの「釣りだ何だと罵って書き手を萎縮させてんじゃねえ」みたいな話(http://kubomi.hatenablog.jp/entry/2013/10/17/030156)を読んでいて(その論とはやや無関係に)思うのは、ブコメとかで叩いてる人たちは、その相手がどれくらいダメージ受けてるかはわからないんだろうなってことだ。炎上未満のちょっとしたぼやだから平気だろうとか、こんなこと書いたんだからその因果は受けるべきだとか思って叩いてるのかもしれないけど、思いのほか叩かれる側はつらい。
 昔ここで書いた記事にふいにたくさんブックマークがついて、否定的なコメントで溢れてきたとき、え、こんなしんどいのかと思ってびっくりしたことがある。想像していた以上につらかったのだ。あの心拍数が上がって苦しい感覚は、体験してみないとなかなかわからないのではないかと思う。


 自分の考えや何かを否定されるというのは、日常生活(仕事とか家庭とか)でたった一人が相手でもしんどい。それが突然、何十人、何百人が自分を否定しにかかる事態にさらされる。いきなりこの身にふりかかってくるのだ。動揺するし、胃が痛くなるくらいのストレスはある。
 私の場合は「お前みたいな考えのやつと一緒に仕事したくない」とか果ては「文体が気にくわない」とか見も知らぬ他人に言われてかなりしんどかった。勝手に言わせておけばいいじゃんと他人から見れば思うだろうけど、そう割りきれるものではないということを体験してようやく気づいたのだ。


 なんとか気持ちを落ち着かせるために、これは俺の書いたものが否定されているだけであって、俺自身が否定されているわけではないと思おうとしたりする。しかし無駄なのだ。
 第一に、「自分の書いたもの」と「自分自身」を切り離すことがそもそも難しい。現実的に自分の思想は自分そのものであって、結局自分自身が否定されているようにしか思えなくなる。
 第二に、非難してくるコメンテーターたちの方も、「書き手自身」と「書き手の書いたもの」を区別してはくれなくて、書き手の人格を否定するようなコメントを平気でするのだ。テクストが等身大の当人を投影しているなんて現実的にあり得ないのに「こういうことを書く人間はこう」と決めつけてかかってくる。


 全くごもっとものことを言われて否定されれば「一々書いてないだけで、んなことわかっとるわ!」と思っていらいらする。一方まるで見当外れのことを言われて否定されれば「ぜんぜんちがうわ!」と思ってやっぱりいらいらする。
 書いてもいないことについて、全体の印象(文体や言葉の選択)から邪推して断定されたりする。しかもそんなコメントにいっぱいスターがつけられていたりするのだ。全くお門違いの誤解で大勢の人が自分を非難してくる。ふつうの人間なら耐えがたい状況だ。


 それで、匿名ダイアリーなんかで「補足」として「私の真意はこうだったんです」と書いてあったりするのを見かけると、とてもつらい気持ちになる。申し開きせざるを得なくなるまでみんなが追い込んだんだぞ、お前らわかってるのかという気になる。しかも「いろいろな意見が見られて有益でした」とか「私の書き方も誤解を招くもので悪かったのですが」とか精一杯の譲歩を見せている。本当は(まともに読んでないくせにぐだぐだ言うな)と思ってるのにだよ。そんな痛々しい姿見ていられない。


 思うところをがんばって言葉にして表明してみたら、こんな痛い目に合うんだ。きちんと読み込んでもくれずに、放言に近いただ自分の溜飲を下げるためだけの言葉を浴びせかけられる。
 そうなったらもう、コメントを見ないようにするか、もうブログをやめるかのどちらかしかない。ちきりんみたいに完全にスルーするか、kubomiの指摘のように黙らせられるかしかない。ただの人に「打たれ強くなれ」なんて期待する方が無理だ。
 ちなみに私は前者の態度をとっていて、はてなダイアリーのコメント欄は閉じたし、ブックマークはある程度以上に数がつき始めたらコメントを見ないようにしている。(ある程度数がつく=他人の後ろ楯があると叩ける安心感が増すようで、否定的な雰囲気は一気に加速する。)


 日常の中で相手の意見を否定するときまともな大人だったら、相手の立場への理解を示した上で「あなたがそういうのは理解できます。ただ、こういう風に考えることもできます」といった形で気遣いを示したりする。「あなたの考え」と「あなた自身」を切り離して、私は「あなたの考え」を否定しているだけで「あなた自身」を否定しているわけではないのだとわかってもらおうとする。そうした手間を省いていきなり相手に向かって「お前は間違ってる。何も分かってない」などとその人もろとも否定したりするような人は敬遠されるし軽蔑される。
 ところが目の前に現にいる相手ではない、画面の向こうの相手なら平気でそうした配慮を欠いた物言いができるのだ。書き手も現に一人間なのだという想像力を欠いている。


 何もブコメをやめろと言いたいわけじゃない。ただ自分の快楽を優先しただけの発言で、他人を少しずつ黙らせたり、あるいはその目を閉ざしたりするような世界を望んでないってだけだ。