やしお

ふつうの会社員の日記です。

仕事に好き嫌いとかない

 会社にいると、「どういうキャリア形成をしたいですか」とか「どんな業務をしたいですか」とか「将来は管理職になりたいですか」といった希望を聞かれたりする場面がある。真剣に答えようとすると「別に何でもいいですよ」という答えになってしまう。
 根本的に、個人としての希望はそうしたところにない。あるとすれば「組織にとって最適であること」だけが個人としての欲求になる。それだから、好きな仕事や嫌いな仕事というものもあり得ない。お片付けみたいな雑用だって喜んでやる。その状況の中でその雑用を自分がやることが最も組織にとって理に適っていると認められるなら、雑用も喜んでやれる。
 いつか課長になりたいかと言われても、その状況の中で組織にとって自分がそうなるのが最も良いことだと思われるならなりたいし、そうでない(他により組織にとって良い人がいる)なら絶対になりたくない。「こういう能力を身に付けるためにこういうことをしたいと思います」とか、「この仕事は私が担当します」とか言うこともあるけれど、それは個人的な好みで言っているのではなく、現在の人員構成なり課の業務範囲なり何なりから考えたときに、組織にとって良いことだと思われるからそう言っているだけなのだ。
 資本主義の中で、価値を生じさせることを強制させられ続ける会社組織の中で、その組織人として、最も合目的的でありたい、という願いだけだ。
 そうではなくて「あなたの思い」で要望してみて下さい、と言われれば「この会社でしたい、ということは特にありません」という答えになってしまう。別に技術的な知識を身に付けたり、会社内の事務手続きに精通してみたり、そうした分野に個人的な興味はない。(ただ興味はある程度コントロールできるので、どうせなら興味をコントロールして自分を楽しくしたりブーストしたりはする。)もっと言えば、「会社の従業員」を離れて一個人の希望で言えば、資本主義が崩壊するところを見てみたい(ひょっとして巻き込まれて死ぬかもしれないけれど)ということになって、真っ向から会社組織の原理から反対することになる。


 「システムにとって自分が最適であるように、自分をコントロールできていること」に喜びを覚えているのだ、といったことを仕事について言えるのは、でも結局、経済的な不安に苛まれていないからに過ぎないという気がしている。理屈上は手放しでそう言えるし、本人も本気でそう思っているけれど、実のところ、お金の不安がなく生活して、それなりに遊ぶのに十分な給料がもらえているという条件によってそんなことが言えているだけなんじゃないかと疑っている。