やしお

ふつうの会社員の日記です。

金儲けと公益性の対立軸が消える

 DeNAのキュレーションメディア騒動でもそうだけど、会社が不祥事を起こした時に「金儲けvs公益性」という対立軸で語られることが多い。でも二つの意味でこれは同一軸上の対立項にはならないと思っている。そう考えた方がいいだろうと思っている。


 まず一つが、「徹底的に利己的であろうとすると利他的な相貌を帯びる」ということで、永続的に金儲けをしようとすると自動的に公益性を帯びてくるということ。他人を犠牲にして自分だけが得をしようとするとしっぺ返しを喰らうから結局、他人も得するように行動した方がトータルで自分の得になってくる。
 もう一つが、会社の一段上位のカテゴリに法人があるということ。個人でも「世の中をこうしたい」とか「自分はこう生きたい」といった理念や目的を持ち得るのと同等に、法人にもそうした理念や目的があり得る。法人には非営利法人(学校とか協同組合とか)や公的法人(国とか)などがある中の一部に、営利法人としての会社組織がある。会社組織が結局「(永続的に)金儲けをする」以外に目的を持たないのだとしても、その上位カテゴリの法人として理念や目的を持っていてそれが公益性を帯びているのなら、その公益性に対して合目的的であるような金儲けの仕方しか選択し得ない。世の中をこうしたい/自分がこうありたい、という理念を踏みにじる形での金儲けに走ることは本末転倒になるからできない、ということになる。
 金儲けを主に考えても公益性が従として立ち現れてくるし、公益性が主として現れれば金儲けが従として制約されるし、両側から抑え込まれている。


 こういう風にわざわざ考えるのは、「金儲けvs公益性」で対立しているとあいまいに認識しているだけでは、仕事や作業や行動を、具体的に選択したり判断する場面でブレてしまうからだ。結局、据えた目的に対して合っているかどうかという、合目的的かどうかという一点で考えない限りブレてしまう。人によってもブレてしまうし、同じ人でも場面ごとにブレてしまうし、果たして「これで良い」と断言できるかどうか本人でさえわからなくなる。
 「会社には金儲け以外の目的なんて無い」と断言できなければ結局、「いやあでも製品品質だって大事だよね」とか「でも上司の機嫌を悪くさせたくないし」とかたくさんの軸がばらばら出てきて、その場その場で優先順位をなんとなく変えていくことになる。そうではなくて、それら一切が金儲けのためにあるだけだ、金儲けの役に立たない作業なら捨てるし、役に立つならやる、とはっきりさせないと判断が一意に定まらない。ただし、本気で永続的な金儲けを追求する、トータルで得になるように考える必要がある、そうすると結局公益的になってくるということと、会社としての目的のさらに上位に法人としての目的があるという認識がこのバックグラウンドにある。
 曖昧に「世の中の迷惑にならないようにしましょうね」とか「コンプライアンスを守りましょうね」と社員に言ったって全然ダメで、それだと個人個人で判断がブレてしまう。「金儲けしろ」と「金儲けするな」を同時に言われても困ってしまって、個人的に「こんなもんかな」で決めざるを得なくなる。そうではなくて「(法人としての)我々の存在意義は○○だ」というコンセプトと「会社としての存在意義は(永続的な)金儲け以外にはない」という目的がセットにならないと判断が定まらない。


 別に大きな話ではなくて、会社の中で(残業しないためにも)仕事の要不要と優先順位をつけていくということを個人でやっていく時に、(誰もがそうだと言えるような)目的と照らし合わせない限りその作業はできない、そしてその目的の行き着くところはどうしても「(永続的な)金儲け」以外にない、でもそれだけだと一見「世の中をより良くすること」を踏みにじっていそうに見える、しかし実際にはそんなことはない。では「会社の目的は金儲け以外にない」と断言しながら同時に公益性もクリアしているというのはどのようにあり得るのか、と逆算して考えるとこうなる、ということでしかない。


 これは「そうなっている」という話ではなくて「そう考える」という話だ。対立項を止揚するという話だ。対立項として残るといつまでも、何度でも同じことが起こる。それを防ぐには止揚するしかないから「こう考える」ということだ。