やしお

ふつうの会社員の日記です。

ツアーで長いCMを体験する

 香港旅行でツアーを利用したら途中CMタイムへと極めてなめらかに突入してびっくりした。マンゴープリンの口どけのようななめらかさだった。ふつうこんなものなのかしら。


 バスで観光地へと向かいながら、添乗員のお姉さん(中年女性の婉曲な表現)がおすすめのお土産を紹介してくれた。
 お土産にもいろいろあるけれど、私のおすすめは花文字だ。自分や家族や友人の名前を、カラフルな龍や動物や花でデザインしてくれる。動物や花のひとつひとつに意味がある。(お姉さんが実際に額に入った花文字を見せてくれた。きれいだった。)値段はどこもあまり変わらない。ただ腕がけっこう違う。下手と思う人も結構いる。今から行くところにある土産もの屋は腕がいいからよくテレビでも紹介されている。もし何かお土産を買うなら私は花文字をおすすめしたい。
 そんな話を聞きながら、いいことを教えてもらったなあ、オリジナルのお土産っていいなあ、思い出になりそうだなあみたいなことを思ってた。花文字は書いてもらうのに時間がかかるけど、今日のツアーの到着のときに届けてもらうから今日中に受け取れるという説明があった。そういうサービスをお店もやってるんだなあ便利だなあと思った。
 ひとつめの目的地に到着して観光したあと、展望台の商業施設に入った。朝早かったからどの店もやっていなかったけれど、お姉さんが紹介してた店だけが開いていた。それを見たときに、あっ、旅行会社と土産もの屋で提携してたのかとようやく気づいた。
 観光客は便利にお土産を買えるし、土産もの屋はうるおうし、旅行会社は土産もの屋から見返りかなんか(?)もらえるなら、いいじゃんねと思った。特にほしいものがなかったから何も買わなかった。


 バスの中でお姉さんはいろいろなことを教えてくれる。屋台は行きたがる人が多い、私も日本の屋台なら行くけれど、香港の屋台にはいかない、あまり洗浄していないからお腹を壊したりする。だからおすすめしない。とか、香港の住宅事情や収入事情、インドネシアやマレーシアからメイドを雇うシステムのこと、その他その他。
 香港の出生率は1を既に大幅に切っている、家賃が高く収入が低いので共働きでないと生活できないから子育ての余裕がない、私も子供を持とうなんて思ってなかったけれど意図せずにできてしまった、さっきのお寺に子宝にめぐまれる観音様があったでしょう、毎日仕事で通ってるからきいちゃったのかも、それで出産して、その後に12kgも太ってしまった、いろいろやったけど痩せなかった、でも霊芝のお茶を試してみたら痩せた、香港のお茶はとても有名でいろんな種類があるけれど霊芝は本当におすすめ、私も日本に行ったときに見てみたけどたとえば横浜の中華街のものはすごく高くて買えない、100gで5千円とかする、日常的に飲むにはその値段だと難しい、それにあまり日本のはおいしくないことがある、烏龍茶も寝かせている年数が浅くておいしくなかった、選ぶときは缶に特級と書いてあるものを選ぶといい、6年以上ものだから、それと買うなら市場が安い、どこそこの市場が行きやすいしいいと思う、でも個人で安く買おうとするにはキロ単位で買わないと難しい、だからこういうツアーでみんなでまとめて買うことで安くできる、もし欲しい人がいたらあとで注文できる、到着地で受けとることができる……
 ってとこまできて、ああーっこれCMだったのかあーっと気づいた瞬間、ほんとうに感動した。
 たまにウェブサイトで、ずーっとスクロールして読んでいくと最後に情報商材とかの注文用のフォームがあったりする。あるいはテレビで、ドキュメンタリーだと思ってずーっと見てたらCMだったとかいう番組があったりする。それと同じことを、目の前で、自分の肉体があるこの空間で、繰り広げられていたというのが、すげーっと思った。
 バスの中で注文フォームの紙が配られた。お姉さんの話にあがったいろんな種類のお茶の缶があった。僕の自宅の台所の棚に、飲みきれずに滞留しているチャイ、ココア、ジャスミン茶、緑茶、麦茶、スキムミルクその他の茶葉や粉末が入っているのを思い出して、何も注文しなかった。


 昼食が済んでまたバスに乗り込んだ。しばらくしてお姉さんが、枕が睡眠の質に影響するみたいな一般論を急にねじこんできた。これから枕の店に行くと言い出した。なんか急にうそみたいに雑になった。
 バスが止まって商店街のうちのひとつの、蛍光灯がすみずみまで明るく照らす店につれていかれて、会議室みたいなところにみんな座って、ゴム製枕の話を聞かされた。予定表にもなかったしみんな困惑してた。日本人の販売員が説明した。みなさん香港へ旅行にきてどうして枕の話を聞かされないといけないのかとお思いかと思います、と話が始まった。(僕はずっと俯いてデジカメの写真を見返す作業に集中していて話の中身がわからない。途中で実演がいろいろあったようだった。10、15分くらいの説明だった。)無理やり買わせようとかそういうんじゃないんです、とにかくこのあと体験だけしていただいて、これは本当に良いものですから、それだけわかっていただければ、ということで会議室からぞろぞろ出されて店内にならんだベッドと枕にみんな寝転がった。僕はしらない人の前で寝転がるのはとても恥ずかしくて抵抗があったので、あいまいな顔をしながら断った。
 バスに戻ると、全体の5分の1くらいの人が枕を買っていてびっくりした。ぜんぜん押し売りしようみたいな雰囲気がなかったのに、かさばる枕を、1万5千円もする枕を、旅行中にほんとに買っててびっくりした。すごいテクノロジーだと思った。
 枕の入った袋を提げて、バスの通路を進みながら、誰もが恥ずかしそうな顔をしていたのが印象深かった。


 長々と説明を聞くと、その時間が無駄だったとは思いたくない、その話を聞いて得をしたって思いたいって気持ちがはたらいて、「これはたしかにいい物なんだ、みんな知らないけど自分はその情報を知ったぞ」→「そんなにいい物なら買わないと損だな」って方向に進むというのは知っていた。
 また試食や試着しちゃうともうそれを買ってしまいたくなるというのもある。相手に負担させてしまうと、その引け目をバランスしたくなるのだ。
 だけどそれだけじゃない。たったそれだけでは、香港でちょうかさばる枕を買って帰るには不十分だ。
 精神治療のカウンセリングでは対象者を寝かせて話を進めると聞いたことがある。横になるだけで人はリラックスして警戒を解く。それと同じことかもしれないと思った。
 あと、ここまでの間に「ものを買う」ことにすっかり慣れていた。花文字、お茶、と少しずつ高価になってきていた。人に勧められてそれを買うという行為に慣れていた。要するに財布の紐が緩んでいるという状態だ。ここまではまだ「せっかく香港にきたんだし」という物だったから抵抗なく支払えて、そこで慣らされてきたんだ。もともと旅行中はみんな財布の紐が緩んでるしね。
 それからそもそも、海外旅行のツアー中だと勝手な行動がまるで許されない、添乗員に「行け」と言われたら断りようがないから、(えっなんで枕の販売店に行かなきゃいけないの)と思ってもともかく従ってしまう、彼らの舞台の客席に強制的に入ってしまう。そんな場面で「どうして私らがそんなのに付き合わないといけないの」と怒り出さずに、いつまでも空気保存の法則が働くのが日本人的気質と言えるのかもしれない。僕もベッドに横になるのを断ったときは空気が読めない人みたいになるのが本当に苦痛だった。
 時間を遣わせること、無料で試用させること、体を横にさせること、財布の紐を緩ませておくこと、強制的に舞台に引きずり込むこと……そうしたもろもろの技術を積み上げることで、香港まで旅行に来て、別に日本でも買えるような、かさばる高価な枕を買ってもらえるのだ。押し売りで無理矢理買わされたという気分を持たせず、あたかも自分の意思と判断であるかのように買ってもらう。テクノロジーすごい。実体験できてとてもよかった。
 ただお姉さんが枕の導入をかなり雑にやっていたのはひょっとしたら彼女なりに嫌気がさしているのかもしれないと思った。他と違ってぜんぜん香港観光と関係ないし。


 このあと宝石城という宝飾店へいった。ここは前テレビで見たことがあった。添乗員のお姉さんによるセールストークもなく、店の人の説明もそこそこで、広い店内をうろうろしてきれいだなあと思って終わった。買った人がどれくらいいたのかはわからない。
 「香港で枕」というインパクトの強い乱気流のあとで、「香港で宝石」という違和感のない買い物で終わらせてソフトランディングってことなのかなと思った。「香港で枕」で終わっちゃったらいかにもこれを買わせるために仕組みました感が出ちゃうもんね。


 もちろんちゃんとコース通りの観光と食事をこなしている。ただその合間合間にCMが入ったというだけだ。
 日本の旅行会社、現地のツアー会社、現地のお土産もの屋や枕業者・宝石店のあいだで、お金を含めてどういう損得の都合がついているのか客側から全部は見通せないけれど、結果的にこれで1人5万円って安さで航空券+ホテル+このツアーのセットが提供されてるならいいかなって気がした。(あとは枕を買った人が本当に満足してくれていることだけ神さまにお祈りしてる……。)
 オプションでもう一個つけたツアーの方はCMゼロだった。それも考えると、強制的に客をこのCMツアーに投入させることで、どこかのバランスが取れているんだろう。このバランスが、お土産や枕を買ってくれるお客が一定数いることで取れているのだとすれば、僕らが今回安くすませられたのはその人たちのおかげなのかもしれないと思うと、なにか申し訳ないような気になってくる。「おれはかしこい消費者だぞ!」みたいに鼻息あらくするなんて真似はとてもできない。


 旅行で添乗員のつくツアーは修学旅行以来だった。どこか懐かしい気がして嬉しかったし、中国語なまりの日本語たくさん聞けたのことすーごく嬉しいのことですね。それになにより、CMが入ってくるツアーを生で体験できたのは本当に嬉しかった。
 そういう気持ちになるのも、時間を遣った分は得をしたと思い込みたいっていうあの機構と同じなんだろうな。でも積極的・意識的にそうして幸せな気持ちになった方が結局お得だからそうするよ。