やしお

ふつうの会社員の日記です。

楽天家は悲嘆者の顔でやってくる

 ワーストケースを口にすると嫌な顔をされたりする。そんなことを考えても仕方がない、極端で現実的じゃない、物事を悲観的に捉えすぎている、そんな風に否定される。そうして悲観主義者だというレッテルを貼られる。
 だけどそれは早計なんだ。このあとに続く言葉を聞いてからでなければまだわからない。もし「だから、あきらめよう」という言葉がいつでも続くようならきっと悲観主義者だ。だけど、「だからこうしてこうぜ」という話が出てくるのならそうじゃない。


 逆説的なようだけれど、ワーストケースを考える人は楽天的だったりする。本気で楽天的であろうとすれば、両極端をしっかり見つめないと難しい。あいまいにきっと大丈夫だろうと思っているのはどこか不安を抱えている。本気で安心するにはまだ足りない。最悪な事態を想定して、それでも大丈夫(別に死ぬ訳じゃない、等)、これは許容できるリスクだ、発生率と掛け算してもOKだ、と確認できてはじめて、心底からの安心が得られる。
 最悪がきちんと見えていなければ、大丈夫なことを危ないかもしれないと勘違いして引いたり、大丈夫じゃないのにいけるだろうと進んでしまったりする。最悪への道をきちんと見ておけば適切に踏み込める。
 しかもうれしいことに、多少思い通りにいかないことがあっても、「でも最悪よりぜんぜんマシじゃん」と思える。そしてハッピーストーリーしか考えていない人が「どうしよう」と戸惑うあいだにもう、すでに最悪になるやり方を知っていればそうならないための答えを出している。


 もっと強い安心感を得たいという楽観主義者の欲求が、確実に最悪を想像しておこうという意識をもたらす。そして一見、悲観主義者にも似た相貌をあらわす。地に足のついた楽観を目指そうとして、「リスクに過剰におびえる悲観主義者」という烙印をおされる。