やしお

ふつうの会社員の日記です。

氏家幹人『かたき討ち』

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江戸期の敵討ちの実例をたくさん紹介して、当事者の内在的なロジックと構築されていく制度の相互作用を見せてくれて面白い。同じ土地に住んでた同じ人間でも、ベースの価値観がこれだけ違うよっていうのが知られるのは楽しい。当初の経緯や事情、理非はあまり関係なく、条件が形式的に整うと「敵討ち」状態に入るし、一度入ると返り討ちでもずるい方法でもとにかく「倒したこと」の達成のみ重要視される価値観ってのが予想外だった。達成者を保護したり、報復の拡大や連鎖を防止する制度があって、その制度を悪用する人もいてってシステムが面白い。


 敵討ちを達成した人のことはお殿様がちゃんと保護して養わなきゃいけない、みたいな価値観や圧力が存在する。その実用的な意味が一見よくわかんないんだけど実は、戦国期の時点で考えると意味がある。戦国期は「昨日の友は明日の敵」みたいな世界であって、とにかく強いやつはちゃんと自分の部下として囲い込まないといけない。そういう強いやつが一人いるだけでいざってときに仲間をいっぱい集めてくれる(一匹ゴキブリがいると五十匹いるみたいな)。そういう世界で、「敵をちゃんと倒せる強い奴は囲うべき」という価値観が醸成されていった。江戸期に入って世情が安定するともはや囲うことの実用上の意味はないんだけど、囲わないといけないっていう価値観だけは残っているという。
 一方で中央政府(幕府)の方はもう江戸中期くらいからほとんど、敵討ち自体も、敵討ちの達成者をことさら持ち上げて養うことも、そんなに奨励もしてなかった。ただ、各国のなかでそういう価値観に従わざるを得ない雰囲気がどうしてもあっただけ、っていう。
 こうした一見意味がないんだけど経緯から見ると実は理由がわかる、という話が面白い。そして一度形成された価値観や通念は、その元の必要性がなくなっても消えるまでに時間がかかる、という話は割と一般的な現象だ。


 それから一番面白かった話が、
「侍同士の喧嘩は両成敗になる」
切腹するときに相手を指名するとそいつも切腹する」
「いさかいを起こしても『発狂してました』の届けを提出すれば穏便に済ませられる」
「親が子の敵討ちをするというのは基本的にあり得ない」
というルールや価値観がある環境下で、
「自分の息子が他の同僚にいじめられていた、息子がついに耐えきれずにキレて刀を振り回したら、いじめてた連中の一人に軽く怪我をさせてしまった、『発狂届け』を提出すれば罰せられずにすむが、それだといじめてた奴を復讐できない」
という状況になった父親が、
「あえて『発狂届け』を出さずに息子を自分の手で殺して、しれっと『切腹しました』って届けを出して、いじめてた奴も切腹に追い込んで復讐する」
ってエピソード。とてもシステマチックで面白い。
 今の我々の価値観からすると、結局息子が死んでしまったら意味ないじゃないか、本末転倒じゃないか、って話になる。でもあの時点での価値観だと別に本末転倒じゃない。確実に相手に復讐ができること、(家の)体面を守ること、が明確に個人の命よりも価値が大きいという通念の中にあれば、別におかしな対応にはならない。価値観というのは、容易に個人の命の価値を左右するものであって、現代の人権感覚は別に自明視されるようなものじゃない、ってことがはっきりわかって面白い。


かたき討ち―復讐の作法 (中公新書)

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