やしお

ふつうの会社員の日記です。

労働組合いやだ

 自分が会社の労働組合に所属してる、ってことを思い出すとすごくいやな気持ちになる。体が心を裏切っているみたいな、そういう引き裂かれてるような感じで自己嫌悪がひどい。
 ああいうずるい組織に、自分が加担しているという事実がつらい。なら脱会すればって話なのに、何となく加入し続けている自分が嫌になる。


 以前に職場の評議員になった時から特に強く思うようになってきた。評議員は持ち回りで、まだやったことなかったししょうがないかと思って引き受けた。結局自分が異動したから1ヶ月位しかしなかった。
 強制参加の一日セミナーがあった。みんなで会社の経営環境や経営方針について感想(?)を言い合ったり、職場環境の問題点を言い合ったり、社会の動向についての講演を聞いたりした。
 途中、壇上で喋ってた幹部の人が「会社が求める7つの人材像」みたいなのに触れたとき、壇の脇にいたほかの幹部の人に「覚えてる?」って聞いて、その人がなんとか空で言って、よっしゃみたいな顔したりしてた。


 えっ、なんだこれ、なんだこれと思った。
 労働法規の基礎や労働闘争史の概要を教えるとかならわかる。派遣の人との賃金格差の話をするならわかる。世間で起きてる労働問題の話をするのならわかる。でも、なんだこれ。
 今までも時々配られるビラを見て、労使協調なんだなあと漠然と思ってた。でもそれどころじゃなかった。御用組合、会社の代弁者といった呼び方でもまだ控えめにすぎるかもしれない。もっと影法師に近い感じだ。会社の意思をそのまま卑小化して内面化させた上で、しかもそれを忘れたふりでいる。
 ずるいことをずるいと思ってやってるならいい、でも自分でもなんとなくいいことしてるつもりでずるいことをしている。
 それなのにどうしても、無駄な時間を過ごしたとか、自分は間違ったことをしてるとは思いたくないせいで、その時は「まあでも講演は面白かったし、組合幹部の人たちも色々考えてるんだなってことがわかってよかった」という感想で自分自身をごまかした。評議員をはなれてしばらく経ってから(いや、やっぱおかしいだろ)という気になった。


 組合の役員や専従の人たちがバカだなんてことを言いたいんじゃない。ちゃんと頭のいい人たちだ。
 セミナーの中でも「我々は組合員のほんとうの声というのを知りたいんです」ってことを強調してた。「今の時代、会社自体が危ない。会社が倒産したらそもそも組合員の雇用を確保できない。だから会社のことをよく理解して協力してもり立てる必要がある」って労使協調の意味を言ってた。
 それを当人の意識としては本気で言ってるというのは全く信じられる。
 でもそれは、空気は壊したくない、みんなにバカだって思われたくない、自分がしてることは意義深いことだって信じたい、そういう意識で形成された言葉でしかない。なまじ頭がいいから、そういう理屈を立てて自分をきちんと騙すことができてしまう。それは自分自身がそうだからよくわかる。


 労使協調が悪いんじゃない。労使協調っていうただの一つの手段を、目的とあいまいにすり替えておきながら、そのすり替えに気づく頭がありながら、気づかないフリですませようとする態度が耐えられない。
 「労働者を守る」っていう根本の目的のための一手段に過ぎない「労使協調」だったはずなのに、「労使協調」のために「労働者を守る」って目的をないがしろにする。


 派遣止めだって現に目の前で起きてるのに、たった一言だって触れないなんて、やっぱりどう考えたってずるい。「組合員の雇用を守る」ってスローガンを、そうした犠牲を曖昧に視界から遠ざけた上で言うなんてずるい。給料だって派遣社員より多く貰ってるっていう現実もはっきりある。
 そんなこと組合の役員だってとっくに気づいてる。だけど「組合員じゃないから対象じゃない」って理屈をとりあえず信じたフリをしてる。自分は悪い人間じゃないって信じないとやっていけないからだ。
 だけど、そもそも入会資格を一切与えることもせずに「会員じゃないから知らない」と言うのは全くおかしな話だ。自分たちはその人達に助けられているのに、その人達を助けることはしない。例え組合員じゃなかろうと「労働者を守る」って原理を照会して考えないとほんとは変だ。
(そういえばPTAとかも本来は親が加入してるかどうかと無関係に子供を支援する組織だったのに、親が脱退したらその子供は対象外で当然視されてるって話にも似てる。)
 搾取する側にいてその立場は守ったまんま、いや、労働者の味方なんですなんて、どの口が言うの。


 00年代初頭(自分が入社するより前)に50代以上へのリストラがあったと聞いたことがある。その時、現職から人事部へ異動になった人(追い出し部屋とか日勤教育とかそこまでではなかったっぽいけど……)が、組合に相談してもまともに助けてもらえなかった、それで何人か脱退して別の、会社別でない労組に入ったという。
 完全に想像できると思った。
 55歳のおじさんが組合支部にやってくる。それに対応する自分は30前後だ。そして上司から暗に退職を迫られたと窮状を訴えられる。相談されたところで、どうやって力になればいいのかもわからない。ひょっとしたらさらに上の組合幹部に相談してみるくらいはするかもしれない。ひょっとしたらその幹部は労使協議の場で俎上にのせてみるくらいはするかもしれない。すると経営側は会社の窮状を訴える。向こうの方が握っている情報は多い。結論の妥当性を判断する力は組合にはない。最後は「本人へのヒアリングはさせてもらう」という、組合は何もしなかったわけじゃないというエクスキューズを落とし所にする……
 あるいは、そのリストラ対象になった50代の人はその年齢で組合員ということは管理職試験に受からなかった人だ。一方で組合の役員や幹部は若い30代のそこそこ有能な人達だ。彼らにとってその50代の人はどう映るのか。会社が悪いのか? この人の能力が足りないのが悪いんじゃないのか? そういう気持ちが、もうほとんど無自覚にあったとしても不思議じゃない。
 直に目にしたわけじゃない。自分がこの会社に入る前の話だ。でも、もし今同じことが起こったら、こういう光景になるだろうというのは全く自然に想像できる。


 会社の劣化コピーみたいな、影法師みたいな感じで、大きな労働組合が成立してしまっているって事実があると、もうそれを変えようというのは内部の人間にとってもかなり難しくなってしまう。
 会社の仕事を離れて組合にいったん専従になって数年過ごして、別の職場に復帰すると割とすぐ課長になるという光景がよくある。これは組合に入った人間は、ある程度経営的な視点でものを見る訓練ができているから適正があるというだけの意味なのかもしれない。だけど、あるいはもっと生々しく、会社が組合を懐柔する意味、もしちゃんと会社に協力的な態度で組合活動をしてくれたらご褒美だよ(もしそうじゃないともう人事面で良くしてあげないよ)という意味なんじゃないかといった風にも見えてしまう不安。
 そしてもし会社と対立してもこの組合は自分を守ってくれないという光景が容易に想像できるという不安。
 あるいはこんな組合じゃ意味ないって脱会したらまた人事面で暗然とした制裁があるんじゃないかという不安。
 そうした不安で萎縮させてしまうから変わるのは難しい。


 例えば、「労働者の利益を守る」という本来の目的で組織デザインをしたいと考える委員長が出てきて、自分自身はもう職場に復帰して人事面で冷遇されてもまあいいかと思っているようなタイプで、でも周囲の役員には冷遇が及ばないように丁寧にフォローしながら、「残業・臨出削減、有給休暇100%取得」みたいな穏やかな目標から初めて、経営側には「これは労使協調です」「世の中そういうトレンドだし」と言いながら、組合側にはきちんと根本的な目的を説きながら、少しずつ「労使協調は手段であって目的じゃない」という認識を浸透させていく……
 もし組織を変えていくとしたらそんなストーリーなのかもしれないけれど、「偶然」そういう組合幹部が登場するなんてあんまり現実的じゃない。


 とにかく労働組合が存在はしているという事実だけでも、経営側に対してあまり無茶はできないといった圧力として少なくない効果はあるのかもしれない。それでも本来の機能を十分に果たしているとは言いがたい。
 毎月3〜4千円を一人ずつ集めておいてまともに機能していないなんて当事者にとって到底耐えられないから、例えば労使協議、セミナーやランチミーティングの開催、会社の経営情報や新施策のお知らせ、夏祭りやイベント開催、海外勤務の組合員訪問といった「何もしてないわけじゃないよ」のアピールがビラに並べられる。(でも海外の組合員訪問は、現地に行って「問題無いですか?」「ありません」って話を聞いてくるだけだから、ほとんど組合費を使った海外旅行に見える。)
 そういえば自分が評議員になるときに、以前の経験者から「会社のことがよく分かるようになるし、面倒かもしれないけどいい経験だから」って言われた。その時は(そういう面もあるんだなあ)と思ってたけど、そういう面しかなかった。労働者の利益を確保する組織としてより、会社の影法師として存在している以上、もうそれしかないというのは当然なんだなって後で思った。
 もう残ってるのは、みんなより自分の方が会社の経営をよくわかってる、っていう自負を満足させることしかない。それか会社の経営とも労組の本来の機能とも無関係のイベント参加で擬似的に達成感を与えていく。


 ある程度大きな企業の労働組合というのは似たり寄ったりの姿なのかもしれない。職種別労使じゃなく日本の企業別労使だとどうしても、極端に労使協調か、極端に労使対立か、その両極端になりがちなのかもしれない。
 正社員だという自分の優位性は(不当さに目をつぶっても)確保したい、でも労働組合をちゃんとしてるって体裁は整えたい、そのバランスの中で、派遣社員やリストラ対象社員をなるべく視界の外に追いやって、あたかも労働力需要の調整なんてなかったみたいに「組合員の雇用確保」を言う。あたかもその外側がないみたいに限定した範囲の中でものを考えて「正しさ」を提出する。そういうグロテスクさに、毎月きちんと給料天引きでこの自分が紛れも無く加担してる。


 今から組合活動に協力するふりをして幹部になって組織を変えるってことに自分の人生を費やしたいって気はどうしても起きない。でも脱会してもそれこそ、自分だけは関係ありませんって顔ができるようになるに過ぎない。それならまだ、加入し続けて、ビラが自分の机の上に届くのを見るたびに罪悪感を覚えてる方がマシなんじゃないか。「お前は結局、搾取する側の人間だ」ってきちんと時々思い出してる方がマシなんじゃないか。
 それで、生活困窮者を支援するNPOとかに毎月寄付して、多少でも罪悪感を減らしてる……そんなの関係ないし、それで免れるわけじゃないしってわかってはいるけど……