やしお

ふつうの会社員の日記です。

七歳までは神のうち

 天然痘や麻疹と「七歳までは神のうち」という言葉について、本田和子『異文化としての子ども』で触れられていた話がとても面白かった。


 確かに「子供の罹患率が高い」「致死率が高い」「しかし一度かかればもうかからない」という病というか現象が存在していると、そこを乗り越えるまでは人間として生きていくかどうかが確定していないように見えてくる。「まだ人間だと確定していない」という意味で「七歳までは神のうち」という見え方になる。
 江戸時代の医者・石坂宗哲が、子供は両親の旧根から発生する、母親の旧根が抜けるのが疱瘡(天然痘)で、父親の旧根が抜けるのが麻疹という現象だ、という解釈を著書の中で展開しているという。また江戸時代に天然痘に罹患した子供に対して、予防・罹患・快癒の各段階で執り行われる儀式や慣習がある程度決まっているという。
 イニシエーションそのものだ。


 7歳までに3割ほどの子供が死んでしまうという世界では、子供はもっと曖昧な存在に見えるかもしれない。ほとんど生き残ることが当たり前だと見なされている世界の中でと比べると、もっとはかなく見えるだろう。「まだこの世界の住民じゃない」「ひょっとするとログアウトしてしまうかもしれないプレーヤー」のように見える。いつも通りに過ごしていても、普段は忘れていても折に触れて「頼むから生きてくれ」という祈りのような気持ちが強く湧くような世界。


 こういう話は、本当にそうかどうかというより(事実かどうかを追求するというより)常識が転倒させられるという点で面白い。「七歳までは神のうち」という言葉はそんなところに由来しないと実証的に否定されたとしても、価値観を転倒させる運動としてこの話は無化されない。


 今の世界で、小学校・中学校……と進んで大学を卒業して会社に入ると「この人は大人になった」と思われる感覚、子供は判断力が低く未熟である、子供は「未完成な人間」であるという、大人と対比して初めて見出される「子供」という概念、連続的に成長していく途中の状態としての「子供」という見方が、別の世界では当たり前ではないという。
 あるルールや前提によって世界の見え方が構築される。生まれた時からそのルールにどっぷり浸かっている者にとって、「そうではない世界」を想像するのは難しい。思い込みは、本人が「そこに思い込みがある」とは気付かない。そこに「そうではない世界の可能性」を立てることで、思い込みがそこに存在したこと、自分がその思い込みに囚われていたことをふいに知らされる。


 「七歳までは神のうち」という言葉は、今の世界の視点で見ると「昔は科学も未発達だったから宗教的な見方をしてたんだな」と漠然と、他人事としてしか見えない。しかしそこに「子供の命を奪う未解決な病があった」という現在とは異なるルールが導入されることで、「七歳までは神のうち」という言葉がはるかにくっきりとした価値観として浮かび上がってくる。


異文化としての子ども (ちくま学芸文庫)

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