やしお

ふつうの会社員の日記です。

体制が変わって70年経つとおかしくなるのかもしれない

 政府が外国人技能実習生の調査をまともにやらずに(ほとんど結果を捏造して)外国人労働者受入れ拡大を目的に出入国管理法改正を進めようとした、という話だったり、水道民営化の外国の実例をまともに調査せずに進めようとした、という話を見ながら、よく似てるなあと思ったのは、太平洋戦争中に大本営の作戦参謀のさらに一部が、ほとんど実態の把握を無視してある種の思い込みをもとに戦略を確定させていった結果、そのツケを自国民と諸外国民の命で払わされた話だった。実証性や合理性より、メンツや願望を優先させて、誰もが「おかしい」と思っても止められずに本当に実行されてしまう、という状況が似てる。
 明治維新(1868年)から太平洋戦争に突入する(1941年)までが73年で、太平洋戦争で敗戦して(1945年)から今年(2018年)までがちょうど73年で、なんか体制が変わって70年くらい経つとおかしくなるのかなあ、みたいなことをぼんやり思った。


 ちょっと前に堀栄三『大本営参謀の情報戦記』を読んだ。

大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇 (文春文庫)

大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇 (文春文庫)

 著者は太平洋戦争中に大本営の情報参謀になっていて、主に太平洋戦争に関する回顧録になっている。太平洋上に点在する島々を攻略することの意味や、制空権というものがどういう意味を持つのか、アメリカ軍と日本軍の戦略や戦術といった話が詳細に語られていて、もともと軍事や兵器に興味がなかったけれど、とても面白かった。
 「大本営参謀」と言っても作戦課と情報課に分かれている。情報課が情報の収集や分析をして、作戦課が作戦を立てる。大本営は全体についてやるし、各師団や方面軍にも設置されてその範疇でやる。方面軍の中ではそれなりに情報と作戦で協力していたけれど(自分達の命がダイレクトにかかってるわけだし)、大本営の方は「作戦課の方が上」という意識が根強くて、情報を無視した非合理的な戦略が立てられて、現場に押し付けられていた実態が語られている。
 大きな方針が戦略、それを実現する方法が戦術で、大本営の作戦課が立てるのが戦略、方面軍などが立てるのが戦術になる。戦略が狂っていると、どれだけ戦術で頑張っても絶対に挽回はできない、善戦はできても勝てはしない、という認識がたびたび語られていて、それは会社とかでもよくある話だなと思った。


 中国との戦争で「組織化が不十分で兵器も最新ではない軍と大陸で戦って勝利した」という成功体験をそのまま引きずって太平洋戦争でも作戦を立案していたという。「大陸上での展開と、海洋上の島々での展開とで異なる条件は何か」「米軍がどのような戦略・戦術・兵器を現に用いているのか」「自分達はどこが不足していてどういう条件下で戦っているのか」といった諸々の情報や分析を、そうすることのできる材料があったのに疎かにした結果が、あれだったという。
 かつての高度成長期は「安価な労働力が農村に大量にプールされていた」という状況によって発生したが、その成功体験をそのまま引きずっているのが外国人労働者の拡大なんだろうと思う。現に外国人労働者の人権が無視されている実態が国内にあり、あるいは十分な教育コストや環境を用意せずに外国人労働者を拡大した結果、疎外された人々が社会内に別の社会を形成して対立が深まり、全員にとって不幸な状況が生まれた事例が海外にいくつもある中で、そうした「情報」を無視して「作戦」を立案する。水道民営化法も反例がいくつもある中でそのまま法律を可決してしまう。
 70年前にやっていたこととそっくりだとも思うし、実際それで自国民を300万人殺した実績があるのだから、驚くことじゃないと言えるのかもしれない。


 70年くらいってちょうど「体制が変化した経緯を実体験として覚えている人」が一通り死に絶えるくらいの時間なんじゃないか。「自分達の手で作った体制」ではなく「生まれた時点でもうそうなってた体制」で生きている。別のルールだった頃を知っていれば「どうしてそのルールになったのか」というそもそもの目的に意識が向いても、最初からそのルールしか知らないなら単に「そのルールで一番上手くやること」が目的化してルールが成立した精神を忘れる。そしてルールの精神を忘れて上手にやる人の方が強い。
 立憲民主党の枝野代表とかが「保守とはそもそも何か」「立憲主義とは、議会とはそもそも何か」といった話をするし、筋論としてその通りだと思うけど、そういう「そもそものルールの精神・目的」を全部無視して、単にルールをハックする今の自民党なり安倍政権なりの方がそりゃ絶対強いと思う。「分かっててあえてやってる」じゃなくて「分からずにやっちゃってる」方がためらいや恥じらいがないから強い。恥のストッパーがない人達は強い。(もちろん強いからといって本来の目的や理念を誰も語らなくなれば本当にみんなが忘れ果ててしまうから、そういう人の存在は重要だけど……)


 経済的に落ち込んできて、その苦しみをナショナリズムに転化する。そのタイミングと、70年経って旧体制からの転換を知ってる人が死滅して重しが取れるタイミングが重なると、構造的にそうした人達(愛国主義的な願望が実証的な合理性を上回ってしまう人達)が意思決定の中枢に位置を占めることができて、かつ排他的に独占できる、というハックが可能になったりするんだろうか、みたいなことをぼんやり思ったりする。
 じゃあ他の国はどうなんだとか、非合理的な意思決定は昔からだろとか、「そんなことはないのでは?」という気もするし、本当にぼんやりそんなことを思っているだけ。