やしお

ふつうの会社員の日記です。

『Roman J. Israel, Esq.』の「Esq.」の意味

 『Roman J. Israel, Esq.』という2017年公開のアメリカ映画(日本は劇場未公開)の中で、主人公である弁護士(デンゼル・ワシントン演)は自己紹介や電話で名乗る際に必ず(頑なに)「私の名前はローマン・J・イズラエルエスクワイアです。」と言う。最初この「エスクワイア(esquireEsq.)」の意味が分からなかった。


 英語で姓名の後ろにつく接尾辞であれば、「Robert Downey, Jr.」の「ジュニア」(父親と名前が同一の場合)や「Marshall Bruce Mathers III」(エミネムの本名)の「3世」などは見かける。敬称なら一般的な「Mr.」、医者や博士号所持者なら「Dr.」もよく見かけるし、ナイトに叙勲されると「Sir Anthony Hopkins」とか「Dame Helen Mirren」のように男性なら「Sir」、女性なら「Dame」が姓名の頭に敬称接頭辞として付くのは知っている。
 ただ「Esq.」は見たことが無くて知らなかった。最初は貴族か何かなのかと思った。


 作中でもローマンが名乗った後で電話の相手(依頼人の女性、一般人)に「そのエスクワイアってのは何なの?」と聞かれる場面がある。この時ローマンは言いづらそうに口ごもりながら、「あの……法曹界での称号なんです。一種の爵位のような。紳士よりちょっと上、騎士より下」(Uh... It's a designation in the legal arena. It's like a title of dignity. Slightly above "gentleman," below "knight.")と答えている。しかし作中にはローマン以外にも多数の弁護士が登場するが、誰一人「エスクワイア」とは名乗らない。ローマンだけが自身の名前に「エスクワイア」をわざわざ付けているのだった。
 映画の『ドクター・ストレンジ』で主人公は「ミスター・ストレンジ」と呼ばれるたびに「ミスターではない、ドクターだ」と毎回訂正していたのを思い出した。これはストレンジという人物の傲慢さや不遜さ、プライドの高さといったキャラクターに基づく。同じようにこの「エスクワイア」もローマンという人物の虚栄心を表現しているのだろうか、とさしあたり理解して受け流していた。


 その後いくつかネットで調べてみたら、「Esq.」は以下のようなものだという。

  • エスクワイアは中世ヨーロッパでは「騎士見習い(従騎士)」を意味していた。語源は「盾を持つ人」。
  • 職業的な意味が薄れその後は階級の名称として残った。イギリスには貴族階級の下にジェントリ(爵位はないが領地と参政権を持つ)があり、その中の一階級となった。上から順にバロネット(準男爵)、ナイト(騎士)、エスクワイア(従騎士)。
  • イギリスではその後20世紀中ごろには男性への一般的な敬称としてMr.と同程度にEsq.が文書上で広く使われたが、1970年代あたりから廃れていった。
  • アメリカでは法曹界の人物の敬称として男女関わらず使用される。(規定で決まっているわけではなく慣習的に使用される。)
  • あくまで文書やレター上で使用される敬称であって、口頭では言わないし、またスペルアウト(略さずに綴ること)もされない。


 ローマンは、ずっと人権派弁護士の小さな事務所の中で、表舞台には出ずサポート役を果たしてきた。人付き合いが得意ではなく、不正義やルールには厳しいこともあり交友関係を上手く構築できていないようだった。米国の司法制度上の欠陥によって不利益を被る市民を救いたいと願っている。「ちょっとしたサヴァン症候群だろう」(He's a bit of a savant.)と人に言われるような異常な記憶力と根気強さを武器に、国家を相手にした集団訴訟を長年かけて準備し続けているが、資金がないため実現できない。そういう人物としてローマンは描かれている。
 そのような人物だったから、虚栄心のために「Esq.」を名乗っているという解釈には少し違和感を覚えていたのだった。しかし「Esq.」という言葉が「盾を持つ人」を語源に持ち、その意味で法曹関係者の敬称として使われているようだと知ると見え方が変わってくる。ある種の矜持だったのだろう。自分は法を、市民を守るのだ、という矜持を押し込めていたのが「Esq.」だった。ただ、その意図を誰かに(観客にさえ)明言することはなく、「ただの称号なんです」と口ごもりながら答えるだけの人物。そう思えば、ローマンがひたすら「私の名前はローマン・J・イズラエルエスクワイアです。」という異様な名乗りを繰り返していたのも腑に落ちる。
 「Esq.」に限らず、本当は「Roman」というファーストネームや「Israel」というファミリーネームにも何か作り手の意図が込められているのかもしれない。


 ローマンはある「過ち」を犯すことになるが、彼はそれを自分自身の手で裁こうとする。自殺や辞任といった「やめておしまい」という責任の取り方ではなく、正義やルールにあくまで徹底して則りながら裁くという彼の本来のキャラクターを全うした行動を取る。
 そんなキャラクターを見ていると大西巨人の小説(例えば『深淵』)を思い出して懐かしいような気持ちになる。時々そんなキャラを見るのは気持ちがいい。