やしお

ふつうの会社員の日記です。

トラブル対応は「それならしょうがない」と相手に納得させるゲーム

 仕事でもプライベートでも自分(や自分の組織)のせいで何かトラブルが起きた時は、相手に「それならしょうがないか」と早く納得させるゲームが立ち上がる。ささいなトラブルでも大きなトラブルでも変わらない。このゲームを無視するとトラブルが拡大したり、自分の責任の範疇以上に責任を負わされたりする。


 勝手にアイスを食べてしまったのなら「帰ってきたらめちゃくちゃ暑くて死ぬーって思って冷凍庫の冷気を浴びようと思って開けたらアイスが目に入って……食べちゃった。ほんとごめん明日代わりの買ってくる」とかバレる前に言う。
 ユーザー先で自社製品にトラブルが発生して自分が品証部門なら、訪問して調査の進捗や推定原因、暫定策、恒久策などを丁寧に説明する。
 待ち合わせ時間に遅れて「早目に出ようって気は満々で7時にはちゃんと起きたんだけど歯を磨いてたら急に洗面所の細かい汚れが気になって掃除を始めてしまったらこんな時間に……」という無茶苦茶な理由でも、相手が(まあそういうことってあるよね)と納得されれば成立する。


 これは「非を認めたら負けのゲーム」ではないし、「ほとぼりが冷めるまで静かにしているゲーム」でもない。「とにかく謝ればそれでいいゲーム」でもない。しかしそう勘違いしている人は実際にとても多いし、そのせいで相手の怒りをさらに買う人や組織も見かける。
 「誠意」や「責任」という曖昧な概念で捉えているとどうすればいいのかが分かりづらい。それなら「もし自分が相手だったら、どう説明されたら納得するか」を考えて実行するゲームなんだと割り切った方が精神的にも楽だし、どうすべきか考えるのも楽だ。


 人に怒られたくないし責められたくない。「こいつクソだな」と軽蔑されたくない。だからこのゲームの上手なプレイ方法を考える。

自分から申し出る

 「来い」と言われてから行くと「お前は俺が言ったから嫌々来たんだろう」と思われる。「納得させるゲーム」としては一気に不利になる。自分から先に言い出せば、「自分にとっての不都合を顧みずに問題を解決しようとしている」と思われて納得も得られやすい。タイミングを逃さず説明の機会を申し出る。

他の人よりも早く出す

 トラブルの原因となった人や組織が複数にまたがる場合、他の当事者に先に説明されてしまうと不利になる。最初に説明した人は「自分が不利になってもちゃんと説明しようとした誠実な人」と見なされても、後追いで説明する人は「先に説明されて不利になったから自分の立場を良くするために立ち回っている利己的な人」に見えてしまう。反論するにしても補強するにしても、先に説明した人以上に説得力のある情報が出せなければ、このマイナス分を覆すことができないから一気に苦しくなる。
 逆に言えば最初に説明する人は多少情報が不足していてもこのアドバンテージの分だけ相手を納得させやすくなる。とにかく早く「相手が納得できそうなストーリー」を組み立てて提示する。

非の範囲を正確に定めて謝罪する

 「私が悪かったです。」「何を悪いと思っているの?」「……」と答えられないと、(こいつ形だけ謝罪して終わらせようとしてる)と思われて「相手を納得させるゲーム」としては最悪の状態に陥る。自分の何が悪かったためにこのトラブルが発生したのかを正確に説明した上で謝罪する必要がある。
 自分の非の範囲を正確に特定してみると案外小さかったりする。自分ではどうしようもできない要因の積み重ねの上で、最後の最後だけ自分が引き金を引いてそのトラブルが発生しているということはよくある。しかしそれは説明しない限り相手には「全部お前のせいなのでは?」と見えてしまって、自分の本来の責任の範囲以上を負わされたりする。それを防ぐためにも、非の範囲を正確に特定しながら、「そしてこの部分に関しては自分に非がありました」と謝って納得してもらう。

原因と対策を説明する

 「どうしてそれが起こったのか」という原因と、「どうしたらそれが起こらないか」という対策を示す。原因が明示されることで「それが起こったことは必然だった」と納得され、対策が明示されることで「確かにこの人は全力でリカバーしようとしている」と納得される。解明や分析が間に合っていないのなら、「それを明らかにするつもりだ」という意思と予定を示す。
 ちなみに原因と対策を明らかにするのが「責任を取る」ということなのだろうと思う。「何を言っても言い訳になるから言いません」「今となっては過ぎたことなので前を向きましょう」などと説明もせずに「責任を取って辞任します」という場面を見るたびに(違う)という気になる。原因が自分で、最も効果的な対策が「自分が排除されること」になると判断されて初めて「辞任する」というアクションになるはずで、そこを抜かして辞めるのなら単に責任の放擲でしかない。

具体的なデータやエピソードを出す

 具体的な日時、文書や映像や音声といった記録、測定値などのデータを出す。あるいはそのトラブルに至る経緯やストーリーを具体的なエピソードとして提示する。会話の内容やその時の状況といったディテールを付加して「ああ、そういうことならそうなるのも無理はないな」と相手に納得してもらう。
 主観的な認識ではなく、客観的な事実だと相手に信じてもらえるように、信憑性を高められる材料を集めて構築する。

共通の敵を作る

 放っておくと「対応しようとしないお前」が敵になってしまう。原因の説明などを重ねていくことで「トラブルの原因」を相手と自分にとっての共通の敵にする。(必ずしも「共通の敵」は人である必要はない。)「こいつは敵だ」と思われている状態では納得してもらったり信じてもらうことが難しくなるから、共通の敵を作って、自分と相手がそれに対抗する仲間になる状況を作る。

仲間を作る

 こうした手をどれだけ尽くしても、相手に納得してもらえないということはある。もはや自分の力ではどうしようもないことがある。教師や上司や、友人や家族、警察といった人々を巻き込んで仲間を形成していく。納得してくれないような相手であればそうした人々の目に入るところで相手に説明をする。「この人の言っていることは正当ですよ」とジャッジしてくれる仲間を増やしていき、数の大きさや権力の大きさといったものを味方に付けていくしかない。
 自分より相手の方がはるかに権力や数が大きいようであれば、メディア(マスメディアでもソーシャルメディアでも)の力を借りて世論を形成する。どうしても自分の方が正しい説明をしている、と感じられるのならそうして一人でも納得してくれる人を増やすほかない。




 代表監督を解任されたハリルホジッチさんがサッカー協会を相手に慰謝料請求額1円の訴訟を準備しているという話も、日大アメフト部に暴力を加えられた関学大選手の家族が被害届を提出するという話も、納得のいく説明さえ最初からされていれば済んだ話だった。2年前に一橋大学の学生がゲイであることをアウティングされ自殺した事件で、遺族が大学とアウティングをした学生を相手に民事訴訟を起こしているが、これも加害者側・大学当局側の納得できる説明がされなかった。
 被害を受けた側・トラブルに巻き込まれた側は、好き好んで訴訟を起こしたり刑事告訴したりするわけではなく、もはやそうするより他に「納得のいく説明」が得られる道が断たれてしまったから、やむにやまれずそうしているだけだ。
 昨日、日大アメフト部の加害側の選手が会見を開いて正確に原因と対策を述べた上で謝罪したというのは、とても珍しく貴重なことだろうと思う。自分の非を正確に特定してそこに至る経緯を説明することで、一方的に悪者にされるのを防ぐという意味でも正しい振る舞いだと思った。ただその「対策」が「自分はもうアメフトをしない」にならざるを得ないのは(加害の内容を考えれば仕方がないとはいえ)あまりに悲しい。
 立場が強い集団・組織が、原因と対策を正確に説明する営みを放棄して、立場の弱い人々にその責任を転嫁させて苛む、といった姿を連日見させられるのは心がむちゃくちゃになる。


 これは大きな話に限らず日常的に不断に起こっている小さな話でも同じことだ。「相手が納得し得る説明を素早くする」というのは当たり前のようで、面倒くさかったりあるいは自己保身から曖昧に放棄されたりする。自分がそうならないためには、実際どうすれば相手の納得を得られるのかという技術を事前に考えておく必要があると思って、一旦整理しておきたくてメモを書いたのだった。