やしお

ふつうの会社員の日記です。

はてなブログへの移行と、はてなダイアリーの記憶について

 はてなダイアリーが終了するというのではてなブログに移行させた。もともとダイアリーに愛着や未練があって使い続けていたわけではなく、ブログの方は「メインアカウントにログインしたまま編集できない」、「有料版が高い(2~3倍)」という消極的な理由でダイアリーを使い続けていたのだった。(id:Yashioid:OjohmbonXのサブアカで、有料版は広告を消すためだけに利用していた。)実際id:OjohmbonXの方は5年ほど前に移行させている。旧サービスが提供され続けていたことに甘えていただけだった。
 はてなダイアリーを始めたのが2004年9月27日、18歳の時で、14年間も利用し続けて32歳になっているのかと思うと何なんだってかんじする。一旦来し方をまとめてみようと思った。


はてなダイアリー以前

 初めてインターネットに触れたのは1996年くらい、小5か小6くらいだった。岐阜市に柳ヶ瀬というアーケード街があり(昔は栄えていた)、そこにインターネットカフェが登場した。今の「ネットカフェ」「ネカフェ」のイメージとは違い、店内は広くて明るく、お姉さんが飲み物を持ってきてくれてインターネットのやり方を手取り足取り教えてくれる空間だった。雑誌に載っているURLをブラウザに手で打ちこんでウェブサイトを見ていた。なんかすごいと思った。
 1999年、中2の時にずっとお年玉を貯め続けてきた貯金を崩してパソコンを買って、親にプロバイダの契約をしてもらって家にインターネットがやってきた。親はパソコンのこともインターネットのこともさっぱり分からないから自分で調べて覚えるしかなかった。ホームページを作って掲示板や日記やチャットを置いて、同級生が遊びに来ていた。CGIとかPerlとか懐かしいね。「学校裏サイト」の走りかもしれないけれど、みんな親のPCからアクセスしていたし人数も少なかったから牧歌的な空間だったと思う。(やや喧嘩や恋愛みたいなことはあったりした。)
 はてなダイアリー以前はこの日記を書いていた。


はてなダイアリーを始める

 2004年にブログが流行った。例えば眞鍋かをりのブログ開設が2004年6月でその年に「ブログの女王」と呼ばれている。高専の情報系の学科に進学したこともあり、もともとサイトを持っていてブログに移行した人が周囲に割といたような気がする。自分も始めようと思った。
 いろんなブログサービスを比較しながら「はてなダイアリー」がかっこ良いなと思った記憶がある。洗練されているというより、プロっぽい感じがした。IT系の技術ブログもたくさんあったし、パーソナリティが面白くて文章もじょうずな人達の日記もたくさんあった。当時はてなが新サービスをハイペースでどんどんリリースしていたのも楽しかった。それで2004年9月にid:OjohmbonXというアカウントで「僕らは妖しく這い回る」というタイトルで始めた。アカウント名もダイアリー名も変だけど、18歳だったからしょうがない。
 「それだけは聞かんとってくれ」というテキストサイトが大好きだった。単に日記を書くというより、日常にあったことや思ったことを面白く文章にしてパッケージングするみたいな、そういうことを自分もやってみたいと思って始めた。そんな影響があったからたぶん、散文的で無意味なタイトルにしていたんだと思う。ブログ名は数年後に恥ずかしくなってアカウント名と同じ「OjohmbonX」に変えた。


 あと当時、月に1、2回くらいのペースではてなダイアリーのデザインを自分で作って変えていた。その時覚えたCSSの知識のまま更新されていないので、このはてなブログのデザインも10年以上前のCSSの知識によって書かれている。(元のダイアリーと全く同じ見た目にしている。)


ユリイカに載る、百傑にはなれない

 ユリイカ2005年4月号で「ブログ作法」という特集が組まれた。

ユリイカ2005年4月号 特集=ブログ作法 あるいはweblog戦記

ユリイカ2005年4月号 特集=ブログ作法 あるいはweblog戦記

 そこで僕のダイアリーをちょっと紹介してくれた人がいた。
 ダイアリーに来てくれる人が突然増えてアクセス元を見たら、ユリイカで言及のあったブログの一覧↓を見つけて、その時初めてユリイカに載ったらしいと知った。
Just Want To Have Fun: 『ユリイカ/特集*ブログ作法』に出てきたblogやらなんやら
 慌てて車で本屋に行ってユリイカを買った。本屋に行くまで、運転している間めちゃくちゃドキドキして、本屋で開いて自分のダイアリーが載っているのを見た時に(うおーっ)と思ったのを覚えている。あと(事前に教えてくれないんだ)とも思った。
 しかしそれでインターネット有名人になるわけでもなく、特別それ以上のことはなかった。友達には自慢した。


 その頃はてな百傑に憧れていたし、はてなアンテナの被登録数を増やしたいと思っていたのを覚えている。被アンテナ数上位100人が「百傑」と呼ばれていた。今だと(ダッサ)と思うけど、憧れてたんだよ。でもなれないまま、はてなブックマークが2005年2月にリリースされたことで「アンテナ被登録数」という指標の価値自体が薄れていき、「百傑」という称号も無化していった。
 今調べてみたら、当時(2005年5月)に100位だった人の被登録数が「157」で、自分のダイヤリーの被登録数が「156」だから、もうちょっとだったのかもしれない。今でいう「ブログの読者」がせいぜい150人くらいでトップ100人になるのだから、やっぱりあの頃は人口自体がすごく少なかったんだなと思う。
はてなアンテナ - アンテナ検索
最近のはてなについて その76 被登録数調査(参考記録) - 186 @ hatenablog


 だから、「なれなかった人」としていつかおじいさんになったら、かつて百傑だった人達を全国に訪ね歩いて、その遺骨を収集して(もし存命していたら倒して)、遺骨を固めて大仏を建立する。百傑仏を建てる。


みんながTwitterに流れていく

 Twitterを始めたのが2007年8月で、どちらかというと始めるのが遅い方だった。その頃はてなダイアリーの人達が軒並み始めているのを見て自分もやってみようと思ったのだった。そのせいで今でも「後から始めた」「新参者」みたいな意識がちょっとある。
 00年代末~10年代頭くらいにはてなダイアリーをみんな更新しなくなっていったけれど、その人達は今も割とTwitterにいたりする。ここで言う「みんな」は「百傑だった人達」だったり「はてなダイアリーでそのパーソナリティや文章が魅力的だった人達」という意味。そうした人達がいなくなったことで「はてなアンテナを利用して人のダイアリーを読む」という習慣も自分の中からなくなっていった。自分でははてなダイアリーで書いていたけれど、他人のブログを読まなくなってしまった。Twitterでそうした習慣が代替されていっている。


 先行してTwitterを始めていたダイアリーの人達と相互フォローして、その人達経由で少しずつフォロワーが増えていったから、自分にとっての「インターネット内の人間関係」は結局、2004~07年付近のはてなダイアリーの人間関係が基盤になっている。その意味でもはてなダイアリーには感謝している。(ただ「人間関係」と言っても現実に会っているわけでもなく、Twitterでもリプライを交わすこともないので「お互い見ている」だけの関係になっている。)


サブアカウント「やしお」を始める、mixiをやめる

 2009年8月に、mixi日記からこのはてなダイアリー「やしお」に引っ越した。「OjohmbonX」の方は「日常や思ったことを文章で笑えるように再構築する」という方向でやっていたら、必ずしも自分自身の日常とリンクしている必要はないという考えになってだんだん創作を書くようになっていた。それで普通の日記をmixiの方で書いていたけれど、mixiの友人が4人しかいなくて見てもらえる人も少ないので公開で書くことにした。以前に取得していて放置していたサブアカウントを活用することにした。
 創作は「OjohmbonX」で、日常の話は「やしお」で、という使い分けになった。ただ「OjohmbonX」はその後2016年4月にカクヨムに移行して、カクヨムに何か投稿した時にお知らせするだけのブログになってしまった。そして創作もそれまでは月一で書いていたのにカクヨムに移ってほとんどやめてしまった。


 mixiはもともと全然やっていなかった。2008年に就職して岐阜から関東に出てきたのだけど、内定式の時にみんなmixiの「○○社×年内定グループ」であらかじめ仲良くなっていたらしいとその場で知って疎外感がすごかったので懇親会が終わったらすみやかに岐阜に帰った。その後で何となくmixi日記を書き始めてみたけれど、「クローズドな空間で書く」「ネット内で交友関係を築いていく」こと自体が合わなくて、1年しか続かなかった。「リアルの人間関係をネットに持ち込む」ことにも抵抗があってmixiの友人を増やすこともしなかった。facebookも偽名のアカウントだけ持っているが全く何も書いていない。


ブックマーク数が1000以上になる記事が出て体調を崩す

 日常のちょっとした話はTwitterで書いているから、「やしお」の方はもう少しまとまったことを書くようになっていった。2012年11月16日に書いた↓の記事に、突然はてなブックマークが1000以上ついてびっくりした。
この眼前の、絶望的な40年の差 - やしお
 「初めてブクマ数が100以上になった記事」がそのまま「1000以上になった記事」になった。だいぶ批判的なコメントも書かれて辛かった。今の自分ならそうは書かないなと思う隙の大き過ぎる書き方だったから仕方ない面もあるけれど、「書いてないこと」を「こんなこと書いてるからこいつはダメ」と言われたり、「書いてあること」を「これが書いてないからこいつはダメ」と言われたりするのはとてもしんどかった。「まずは虚心坦懐に読んでくれよ!」と思う一方で、(なるほど、「実際に何が書かれているか」ではなく全体の印象でしか読めない人の方が多いのか)と学んだ。
 実際には批判的なコメントが全体の3割程度でも、当人の実感では7割くらいに見えてめちゃくちゃ叩かれているという感覚になるということも初めて知った。肯定と否定が当人に与える印象の大きさが、こんな風に非対称だとは経験するまで知らなかった。辛いのと腹が立つのとで眠れなくて会社を1日休んでしまった。


 このしばらく後で、はてなダイアリーのコメント欄を閉じた。ただはてなブックマークの方は、筋論で言えば「自分のスペース」ではなく「みんなのスペース」のはずだからコメント非表示にはしていない。
 印象の方もコントロールするような記事の書き方になっていったことと、ブックマークコメントをなるべく見ないようにすることでその後は精神衛生が保たれている。一気にたくさんのブックマークがつくより、数年かけてぽつぽつ無言で付くエントリの方が「誰かの参考になっているのかな」「書いて良かったな」と思えて嬉しい。


今は自己顕示欲から距離を置いている

 今はこの「やしお」を、自分が考えを整理するために書く、ただついでに他人にも共有されれば良いかもしれないから公開する、というつもりでやっている。仕事だったり、友人や親類との人間関係だったり、本や映画、テレビやニュースを見て思ったことや自分の中で整理しておきたいことをまとめる。あくまで自分のために書いているだけ、というスタンスでいる。何でもない普通の人がどう考えて生きているのか、どんな体験をしたのかといったことが赤の他人でも触れられるのは凄いことだ。そのありがたみをインターネットで享受している以上は自分も返した方が良いのかもしれないと思って書いている。
 でもそれは、実際に雑誌で少し紹介されたり、はてなブックマークが何度か1000を超えたり、Twitterで10万いいねを超えたりしても、それとは無関係に生活は変わらないと経験した上で「自己顕示欲に振り回されて書くより、自分にとって必要なことを書こう」と思うようになっていった過程がある。そういう気持ちに振り回されて、でもそうすると結局自分で自分が嫌になってしまうと知って、抑制的になってきた経過がある。この前はてなブログのプロフィール欄に「年内に読者数が1000人に行かなければやめる」と宣言している人を見かけて、(自分のために書けばいいのに)と思ったけれど、自分自身も昔は「はてな百傑になりたい」と思ったりした時期があった以上それを忘れてそう言うのはアンフェアだと思った。


 自己顕示欲や承認欲求は麻薬にちょっと似てる。それが得られているうちは強い快感があるが、切れると欲しくて堪らなくなってしまう。最初から知らなければ欲しがらずに済むのに、あるいは手に入るところになければ諦められるのに、つい手を出してしまう。こんな記事を書けばブックマーク数を稼げる、こんなブックマークコメントを書けばはてなスターを稼げる、こんなことをツイートすればリツイートを稼げる……自己顕示欲を求めて止まらなくなる。仕事でも、会議などで他人をギャフンと言わせて「自分の方が分かってる」と気持ち良くなる経験に取りつかれる人もいる。
 Twitterでもはてなブックマークでも、あるいは先日のGoogleのコメント機能の追加の話でも、ユーザーの自己顕示欲を煽る仕組みにするのは一般的な現象なのかもしれない。「サービスが成長している」と利害関係者に説明するにはアクティブユーザー数を拡大させる必要があり、人間にとって弱いポイントを突いて離れられなくさせる。ソシャゲが射幸心を煽るのと近い。最初は嬉しかったのが、嬉しさを求めるレースに参戦すると途端に苦しくなってくる。それはみんなの幸福をむしろ損なっていく。
 書いたものを誉められて嬉しくなるのは自然なことだけど、誉められることを目的化していくと苦しくなる。だから、巻き込まれないように身を引き剥がす。


 そんなスタンスで今はこの「やしお」を書いているし、今まで書く場所を提供してくれたはてなダイアリーにはとても感謝している。