やしお

ふつうの会社員の日記です。

猿谷要『ハワイ王朝最後の女王』

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「本人が望んだわけではない立場にあって、しかしその責任を全力で全うしようとした人」は本当に立派だし尊敬する(人命救助とか会社経営とか政治家とか)。リリウオカラニ女王がハワイ王国の王位を継承した1891年時点では既に米国による国家簒奪は不可避な状況で、事実4年後には廃位させられる。逮捕・軟禁を経た後に、併合される直前まで米国本土へ渡り、計5千名もの人々に会って合併を思いとどまらせようと努力したという。彼女が作詞作曲したアロハ・オエも、彼女の人生を知るとより重みのある歌に感じる。



 大国の帝国主義的な価値観にさらされたとき、小国家が独立を維持させることがどれほど難しいか、つくづく思い知らされるような話だった。
 リリウオカラニの兄王(先代)であるカラカウアは、日本に渡り明治天皇へハワイ王室(カイウラニ王女)と皇室(東伏見宮依仁、当時の山階宮定麿)の婚姻を打診して、アメリカ併合に日本が反対してくれるようバランスを取ろうとした、というエピソードも紹介される。
 併合に対して以下のような不利な要素があった。

  • 自国の軍を解散させている(クーデターを抑止できない)
  • 外国人を政府要職に就けている(日本の明治期のお雇い外国人のように、技術職が中心で自国民の技術者が育てば順次入れ替えられたわけではない)
  • 外国人が土地・生産力を握っている(砂糖のプランテーション。国家財政に影響を与えて発言力を大きくしていった)
  • 外国人(白人)の流入に伴い、自国民(ハワイ人)が免疫を持たない病原菌がもたらされ、自国民が激減する
  • 全人口で言えば自国民の方が多いが、島々に分散しているため、首都(ホノルル)人口でいうと白人の方がマジョリティになる(全体として合併反対派が多くても力を結集できない)

 

 欧米が帝国主義植民地主義の真っ只中で、さらに米海軍のマハンが唱えたシーパワーの概念が世界的に流行、海洋進出へ目が向いていたところで、特に直接的には、米西戦争アメリカがフィリピン・グアムを獲得したことで、それらと米国本土の間にあったハワイは「合併して当然」という空気感へ傾いていったという。
 ハワイにいるアメリカ人/アメリカ出身者たちも、合併を必ずしも「アメリカのために」というより「ハワイのために」という意図で(たぶん本気で)、「王政ではなく共和制にしなければダメだ」と本気で考えている。現地民にしてみたら「余計なお世話」でも、「野蛮で遅れている」と上から目線で見てしまう。


 あと「米国がハワイ王国を簒奪した」のは事実だけど、一直線にそうしているわけではなく、米国側もかなり葛藤があったというのは興味深かった。

  • 白人グループが政府庁舎を占拠して「臨時政府」樹立・王政廃止を宣言(1893年1月)
  • 民主党クリーヴランド大統領(もともとハワイ合併に否定的だった)が調査団を派遣(3月)し「この政変は不正な陰謀」と報告、大統領が議会へ「ハワイへのアメリカによる干渉は不当」とメッセージを発出(12月)
  • ※この時点では臨時政府側が裁かれ追放される側、女王が復位する方向で考えられていた
  • 臨時政府が自己を正当化する内容の回答を発出(12月)
  • 議会側が別の調査団を派遣して臨時政府側を正当化する報告内容を出させる(94年2月)
  • 臨時政府によるハワイ共和国の独立宣言(7月)
  • 王党派による決起・女王の逮捕(95年1月)

という流れになっている。1897年3月には共和党のマッキンリーが大統領に就任、98年4月に米西戦争勃発、8月にハワイ合併。