やしお

ふつうの会社員の日記です。

ようよう強くなりゆくジジイ in 映画

 「若者をサポートする経験豊富な老人」というのは一つの定番で、そうした存在がいるとお話がとても安定するし、見るとうれしくなる。


 映画なら、たとえば『マスク・オブ・ゾロ』とか。ジジイ(初代ゾロ)が若者を鍛え上げて2代目ゾロにする。そしてそれぞれかたき討ちを達成する。王道という感じで楽しい。
 もう少し古い映画なら『ハスラー』とか。かつての伝説のハスラーが若者にビリヤードと勝負の技術を叩き込み、最後はその若者と勝負して敗れる。
 アクション映画じゃなくても『グラン・トリノ』もそうだ。ジジイが隣に住むモン族の少年を一人前の男にトレーニングしていく。そして若者はジジイとの別れを経験し、「グラン・トリノ」を引き継ぐんだ。
 枚挙にいとまがない。


 比較対象がいないと、若者の未熟さをうまく描けない。
 加えて、最初ははるかかなたに見えてた師匠を乗り越えれば、若者の成長を描くことができる。
 そんなわけで物語に厚みをつけるのに欠かせない存在、老練なジジイ。


 「若者をサポートする経験豊富な老人」という視点で見ると、タランティーノの最近の映画『ジャンゴ』はかなり複雑なことをしている。
 主人公は黒人の奴隷の若者(ジェイミー・フォックス)。彼を、一流のバウンティハンターのジジイ(クリストフ・ヴァルツ)が奴隷商人から解放してバウンティハンターに育てていく。
 ここまではふつうの未熟な若者 - 熟練の老人の構図。だけどここからが違う。
 敵役は賞金首の農場主(レオナルド・ディカプリオ)。こいつのそばには先代から仕えている奴隷の執事(サミュエル・L・ジャクソン)がいる。小うるさいだけの老いさらばえたただのジジイかと思いきや、老人特有の勘と狡猾さでディカプリオを実はサポートしている! そう、主人公だけじゃなく、敵役にも若者 - 老人が配置されている。
 しかも、主人公側が黒人の若者 - 白人の老人、敵側が白人の若者 - 黒人の老人、というシンメトリックな構図に収まっている。
 かててくわえて、主人公の若者と敵側の老人、主人公側の老人と敵の若者という対もあらわれてくる。(ひどくネタバレなのであんまり言えない……)
 とっても面白い映画だけど、ここまで複雑なことしないとやってけないとこまで来てるのかなあと思って、感慨深い。



 一方、『RED』や『RED2』はもはやこの構図を捨て去っている。
 引退して余生を過ごしていたかつての凄腕工作員たちが暴れまわるという話で、ジジイとババアばっかりなんだ。
 「若者をサポートする経験豊富な老人」じゃない。若者を押しのけて出てきちゃった。
 だけど一応味方の中には若者(相対的)もいる。一作目だと保険会社ではたらいてた女性がひょんなことから巻き込まれてるわけで、いちおう未熟な若者(相対的)が存在する。二作目にもイ・ビョンホンが仲間になったりするけど、さいしょから凄腕の殺し屋だから成長するわけじゃない。


 だけどさいきんほんとにびっくりした。『大脱出』だ。
 『RED』や『RED2』にかろうじて存在していた若者も消滅しました。
 スタローンとシュワルツェネッガーのジジイ二人が主役だけど、だって二人とも丸太みたいに腕が太いんだ。若者なんか関係ないわけ。だって二人ともコンクリートのブロックみたいに胸が厚いんだ。びっくりするほど若者が画面に出てこない。
 スタローンの味方に50セント(相対的若者)がいる。だけどまるでストーリーには絡まないしサポートをしもされもしない。背景。
 そんな若者、必要ないんだもん。
 だってジジイ、元気なんだもん。
 泳いだり走ったり殴ったり撃ったりするから元気なんじゃない。誰にどう殴られても、どういうわけかこれっぽっちもダメージを受けてないから元気なんだよ。
 衰えにさいなまれるという描写が皆無なんだ。
 あと『キリングゲーム』もデ・ニーロとトラボルタのジジイ二人だけで殺し合ってる。全編ほぼこの二人。


 映画監督については、おじいちゃんたち元気だなあとずっと思ってた。
 さらにみずみずしさを増してゆくポルトガルの現役監督オリヴェイラ(105歳)を筆頭に、70代、80代の監督がごろごろ活躍してる。
 だけどもう最近はどんどんスクリーンの中でもジジイ活躍中。


 だからつまんないとか言いたいわけじゃない。
 せまい観測範囲でジジイの系譜をたどると、なんか元気になってきてる気がすると思って。