やしお

ふつうの会社員の日記です。

大西巨人『神聖喜劇(五)』

http://bookmeter.com/cmt/50935258

最後の最後で東堂がレギュレーションミスで大前田にボコボコにされるのは、引用やめたからだよ。この小説は、物語の推進や説明に資しない大量の引用で停滞させてきたのに、5巻では物語をせっせと進めてた。引用も説明に関するものだけだった。その緩みと東堂の気の緩みが連動してる、小説の形式と物語の内容とが正しく照応した結果、お話をてきぱき進めた罰として東堂が殴られる。推進された物語で傍観者だった大前田がその執行人になるのは当然で、物語に触れてその後今度は大前田が罰せられたのも当然で、物語を手助けすると罰せられる小説なの。


 しかもその東堂がほとんど彼のキャラ設定を裏切るような、矛盾するようなレギュレーションミスを犯した理由として、彼自身が「そのへんのルールは、目は通してたつもりなのに、あんましちゃんと読んでなかった/意識してなかった」みたいなこと言ってるんだよね。この「書かれているのに、目を通しているのに、読んでいない」ってこの小説の読者そのものなんだよ。大量の引用、特に国文学に関する(なんで今その話してんの?)と読者を困惑させるあの大量の引用に、目を通しながら、でもちゃんと読んでいない、その話をしようとしない読者に対する、罰と同じなんだよ。
 東堂は、「徹底的に読む人」として存在していたのに、それを裏切ったんだから、その裏切った罰なんだよ。


神聖喜劇 (第5巻) (光文社文庫)

神聖喜劇 (第5巻) (光文社文庫)