やしお

ふつうの会社員の日記です。

AIでうろたえるなんてことない

 すごく大雑把な認識というか感想なんだけど、AIとかが発達してきて「人間の価値がなくなる!」みたいな言説を見ると、やっぱり違う、それじゃあべこべだって思う。今まで「人間じゃなきゃできない」と思い込んでいたことがそうじゃなかったとわかってプライドが傷つくのはわかるけれど、それは単に勘違いが勘違いだってわかっただけのことだ。鉄道オタクの人が自分が誰よりも知識があるんだぞってことを自分に信じこませたくて、周りに知識をひけらかしていたのが、自分よりはるかに知識のあるオタクを前にして焦って虚勢を張ったり怒りだしたりするような姿だ。それを見たとしても、単にプライドの担保のさせ方が下手くそなだけだとしか思えない。仮にさかなクンがもし、はるかに魚に詳しく圧倒的な碩学に出会ったとしたら、それを嫌がるよりも喜ぶ姿しか想像できない。きっと自分がまだもっと先に進めるんだということに喜びを見出すんじゃないか。さかなクン本人と会ったことも喋ったことないから知らないけど。でも、正しいプライドの持ち方というのはそういうことだろうと思う。それと全く同じように、AIがすごくて人間の知的能力を追い越したからといって、そんなことに傷つくのはナイーブに過ぎるって感じ。
 今のAIはすごいすごいと言っても、人間を上回ってより早く、より合理的な結論を導けるようになってきたというレベルであって、その結論がどういう意味を持つのかを見せてくれたりはしないようだ。それだから、例えば将棋や囲碁の勝負でAIが人間を圧倒したからと言っても、「その手筋がこのゲームの体系にとってどういう意味があるのか」といった解釈の面でまだ大きく人間の知的作業の領域が残っている。だから棋士たちは勝負師というより、より研究者に近づいていくのかもしれない。とは言え、そうした意味の解釈といった領域でもAIが人間を上回るようになったとしても、やはり先の通り、それで人間の価値が毀損されると思うには及ばない。単に、人間じゃなきゃできないってことじゃなかった、ってわかるだけのことだ。
 そうなってきたときに、考えたって無意味なんだから考えるのをやめよう、って話になるかというと、そうはならないだろうと思ってる。より生物としての喜びっていうものが前面に出てくるだけなんじゃないかと思う。考える、何かが分かる、自分の認識が広がっていくっていうことの単純な喜びを改めて見出すだけだろうと思ってる。それは肉体労働が機械に置き換わったのと同じことで、それまではある必要性からそうしてきたのを、体を動かす喜びや、あるいは昔を体験してみるという(やや倒錯的な)愉しみのためにそうするようになったのと同じことだ。そうして人間のあらゆる行動が、生産っていう文脈から剥ぎ取られて、個人のよろこびのためにそうするという、もっと純粋な形態になっていく。肉体労働で起きたことが、知的労働で起きるようになるだけのことだ。


 一方で、「AIに仕事を奪われる!」「生活が苦しい!」というのは現実に存在する。でもそのときに、「だからAIが悪い」「AIやめろ」っていうのは本末転倒だよ。これは誰だって考えることだと思うけど、機械が人間の肉体労働を肩代わりしてくれて、AIが人間の知的労働を肩代わりしてくれるようになったんだから、当然その分人間は働かなくても楽に生きていけるようになる、というのが単純な論理のはずだ。でもそれが実際にはそうならないんだとしたら、そうならないシステムがおかしいという話をすべきで、システムの方はお咎め無しのまま「機械あっちいけ!」「AIあっちいけ!」「人間につらい肉体労働・知的労働させろ!」というのは本末転倒ってことになる。
 その「システム」というのが資本主義システムのことで、労働が剰余価値を生む、その分を労働者が消費する、ってサイクルが原理になっている、つまり人間が労働するってことが前提のシステムになっている。それで労働しないと生きていけない、ってなる。機械やAIが労働を肩代わりしてくれてるからいいでしょ、ってことにはならずに、「人間が」労働しないとダメ、許さない、ってシステムになってる。それで「機械が/AIが、人間から労働を奪う」っていう(よく考えたら変な)表現が生まれることになる。肉体労働の大部分が機械に奪われた後は知的労働に活路を見出してきたけど、今度はその知的労働の領域がAIに奪われてくると本格的に苦しくなってくる。変なんだけど、そのシステムに乗っかっている以上は現実に本末転倒が起こってしまうし、実際に生活が苦しいし生きるのが大変になる。
 それじゃあ「機械やAIが肩代わりしてくれた分、楽して生きられる」その普通を実現するシステムに移行しましょうかって話になるかというと、ならない。システムを根本的に変えるという話と、システムをなんとかそのまま維持してその上でだましだましやっていこうという話と、どっちが短期的に見て楽かというと後者だから。新システムだと、移行する間に混乱も大きいし、移行した後しばらくは不具合も出るだろうし、そういうリスクは取れない(取るって決断をする権限を持っている人や集団がこの地上に存在しない)から、みんな今のシステムだとまずいなあと思ってても続けるしかない。銀行なんかのシステムとかでもそうかもしれない。大きくなればなるほど、新システム移行のリスクに対する責任を負うってことができない。完全に現行システムが破綻して、新システムに移行せざるを得ないところまで追いつめられるまでは移行は起きない。
 現状に耐えられなくなりつつある現行システムを、無理やり動かして延命させるっていうのはとても苦しいことで、それで国内でも経済格差は広がるし、国家間(というかブロック経済圏間)の格差も広がるし、みたいに大雑把に思ってる。


 そんなわけで、AIが発展してきたなあって話から、この世界を動かしてるシステムが何なのかもっとちゃんと知りたいって話に着地する。資本主義システムがどういうものなのかを解明したのがマルクスの『資本論』で、それをさらに論理体系として純粋に抽象化したのが宇野弘蔵の『経済原論』その他で、その上でさらに資本主義を含んだもう一段広いシステム論を構築して資本主義前と資本主義後のシステムまで説明したのが柄谷行人の『世界史の構造』(とそれを補完したり具体的な現象に適用したその後の一連の著作)、という認識なので、逆順に進んで柄谷行人宇野弘蔵と読んでみているけど、きちんと他人に自分の言葉で自力で構築し直して語れるだけの理解に至っていない。読んではいるけれど、まだぜんぜん取り込めていない。
 だって例えば、価値っていうのは価値体系の差分から取り出してくるもので、その取り出し方は、空間の差(遠隔地貿易とか)、労働力価格の差(高度経済成長の頃の農村の低価格の労働力とか)、時間の差(今より革新的な製品を作って未来の価値を先取りするとか)、って種類がある、前2つの空間の差、労働力価格の差がもう世界中で均一になってきてるから、後は時間の差だけになってくるから世の中が猛烈なスピードで発展していく、でも大きく先取りできること(iPhoneが登場したみたいな)はめったになくて細かい先取り(ちょっとした機能追加とか)で凌ぐしかなくなってきて苦しい、っていう認識と、労働が剰余価値を生むって資本主義システムの話が、どういう整合性をもって収まるのかみたいなことすら、きちんと自分の中で整理できていないレベルなので、もっときちんと知りたいし考えたい。


 なんか最後もうAIの話ぜんぜん関係なくなっちゃったけどまあいいか。あの、AIが出てきてプライドやシステムが揺らぐからって、AIが悪いんじゃなくてそのプライドやシステム側の適応の問題なんだよね、っていうだけの確認。