やしお

ふつうの会社員の日記です。

天皇個人への肯定と制度への否定が同居すること

 しばらく前にはてな匿名ダイアリーで「みんな無邪気に天皇を信仰していてびっくり」みたいな記事が上がっていた。改元前後の大晦日みたいな盛り上がり方や、前天皇上皇)へのみんなのリスペクトを受けて書かれたものだった。
 生まれによって数多くの自由が制限される制度があるのは変だ、でも改元自体は面白いイベントだし、上皇という個人については尊敬できる、という感覚が割と一般的なんじゃないかと思っている。アイドルみたいに追っかけてるとか、崩御したら後追い自殺しますといった人は少数派だろう。それで「天皇を信仰している」と言われると「宗教みたいに信仰してるわけじゃなくて、一人の人間としては尊敬しているってだけだよ」と多くの人が答えるんじゃないかと思うし、自分の実感としてもそうなっている。
 このあたりのことを自分の中でもせっかくの機会だし(?)整理してみたいと思って。


天皇制の否定

 天皇や皇族は基本的人権が保障されていない。憲法では第3章「国民の権利及び義務」の中で様々な国民の権利や自由について規定しているが、例えば第22条の「居住、移転、職業選択、外国移住及び国籍離脱の自由」などは全く天皇や皇族には認められていない。「禁止されている」というより現行システム上「想定されていない」という言い方のほうが正確かもしれない。これは天皇や皇族が「国民」からは除外されている、だから第3章の「国民の権利及び義務」は適用されていない、と解釈される。


 あるいは第2条は「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。」であり、具体的に規定している皇室典範の中身を見ても、そこでは「結婚して子供をつくること」が前提されている。ここでも「結婚しない/子供をつくらないことが禁止されている」のではなく「システムとして想定外」となっている。
 結婚しないとか、子供をつくらないといった自由は考えられてはいないし、その延長として当事者は「産め」というプレッシャーにさらされることになるだろう。


 現上皇が譲位の「お気持ち」を表明した際に「天皇の発言力が増すのは危険だ」という指摘をした人達がテレビでもSNSでもちらほら見られた。「自由な発言が許されない」というのも人権の侵害の一種であって、「だから黙っていろ」というのは人権侵害への加担であって、むしろ「だから天皇制を廃止しろ」と言うのが本筋ではないか、という気もした。
 これは天皇を機関として見れば「発言は許されない」という見方になるし、人間として見れば「発言を許せ」という見方になる。


 また例えば「記帳所事件」という憲法判例がある。昭和天皇重篤になった昭和63年秋以降、各地の自治体で快癒を願う記帳所が公費で設置されたが、公費支出は違法であって、昭和天皇は記帳所の設置費用を不当に得ている、それは昭和天皇崩御したから明仁に相続されているので、地方自治法に基づいて千葉県に代わりある千葉県民が明仁に対して損害賠償請求の住民訴訟を起こした、というものだった。そこでは「天皇に民事裁判権はあるのか?」が争点になった。
 最高裁判決では「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であることに鑑み、天皇には民事裁判権が及ばないものと解するのが相当である」とされた。
 天皇(や皇族)は「国民」の権利や自由からは除外されている。


 これは個人的なことだけれど、10代の終わりに小説家の大西巨人の作品にはまっていた時期があって、そのエッセーの中で「天皇制によって人権が貫徹されていない」ことが指摘されているのを読んで初めて意識したのだったと思う。それ以前は知らなかったというより考えたことがなかった。
 1987年の「不思議な一人物」というエッセーでは以下のように書かれている。

 「第三章 国民の権利及び義務」諸箇条は、とりわけ「国民の権利」に関する諸箇条は、総体的にそれとして立派な・尊重せられるべき準則です。だが、それは、第一章の人間侮蔑的・人権無視的な全八箇条によって、あれこれ現実的に制約せられています。第一章全八箇条は、たとえば第十四条の「すべて国民は、法の下の平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」という準則にまっこうから抵触します。それゆえ、私は、「日本の国民ではない不思議な一人物、一個の責任無能力者」とせめて書いたのでした。
 人権の十全な保障および伸長は、第一章全八箇条の全的廃止によってこそ、達成し得られるにちがいありませんが、現行憲法の正当な解釈ならびに運用が行われる限り、人権のかなり満足な保障および伸長があり得るはずです。

大西巨人文選4 遼遠 1986-1996』(p.186)


 ちなみに大西巨人は太平洋戦争で招集されて陸軍にいた経験があり、(必ずしも実体験そのものを書いたものではないが)『神聖喜劇』という陸軍の生活やシステムを舞台にした長大な小説を25年かけて書いている。その中でも天皇制の構造について触れている箇所がある。
 下級兵は教えられていないことでも上官に向かって「知りません」と言ってはいけない、「忘れました」と言わなければいけないという軍内部での慣習的なルールに触れて、これは上官の責任を無化するもので、それが順繰りに上へ上へ適用されれば最終的に天皇に行き着くはずで、それ以上の「上」はないし、現実的に下級兵は責任を取りようがないから、結局のところシステム全体が無責任になっている、という数学的帰納法みたいなことを主人公が考える。
※これについて以前↓に書いた。
  大西巨人の絶対無責任論 - やしお


 この話は象徴天皇制の話ではないけれど、現行制度上の天皇に関して「一個の責任無能力者」と大西巨人が書くとき、旧制度での無責任のシステムも想記されているのだろう。制度が変わっても、無責任である(責任が阻却されている)人物が置かれてしまうという形は変わっていない。(これは天皇という人物個人に責任感がないといった話ではなくて、制度として責任を取りようのない人物が設定されている、という意味。)


 「生まれによって最初から権利や自由が制限された人がいるルールをいいと思うか?」と聞かれれば「良くない」と答えるほかない、という意味で天皇制には反対という立場になるし、第1章の全削除という意味での改憲派、ということになる。


システムへの興味

 一方で、そういう変なシステムが現存していて運用されている現実を「面白いな」と思う気持ちもあるのは確かだった。


 当人の意思として譲位を望んで、しかし政府の側がいつまでも譲位に否定的だったから、NHKにリークしてから「お気持ち」を表明する。「天皇は権力を持たない」にギリギリ抵触しない表現を狙っていく。世論が譲位を肯定して、無理に否定すれば政権が持たないとはっきり自覚してから政府が対応を進めて、皇室典範そのものには一切手を付けずに特例法で対応する。
 特例法の中身も実際に皇室典範とセットで読むと(ああ、こういう風に処理するのね)と思って結構面白い。例えば「もし退位より前に天皇崩御したら?」みたいなケースも、ダイレクトに書くわけではないけどきちんと対応できるような形になっていたりしている。じゃあ祝日はどうやって法的に処理したんだろう、とか思って調べるとへーと思うし。
 退位の日(4/30)も、即位の日(5/1)も儀式をテレビで中継してくれて見ているとこんな風にやるんだと思ってやっぱり面白い。挨拶の内容も「これは象徴天皇制だから、天皇個人の意思による譲位ではなく、法的なプロセスの結果だ」という内容になっていたりもする。実態はどう考えても天皇の意思をきっかけにして起こっているし、そこがなければそもそも存在しなかった譲位だけど、建前としては当然そこを言わないといけないから言っている。
 「天皇崩御を伴わない改元」という現在生存しているすべての人が体験したことのないイベントに対してみんなが取った反応が結局、大晦日と元日に準ずる、というものだったのも面白かった。これが平日まっただ中だったらだいぶ違ったんだろうなとも思う。


 譲位・改元のプロセスや、法的な処理の仕方、世の中の反応、どれをとってもすごく面白かった。


 それから天皇制は形式的なものだけど、「形式的だから無視できる」というより「どうして形式的なものが今の今まで現に生き残ったのか」という点も、今見てるまさにこのイベントがそうなんだなと思うとやっぱり面白いのだった。歴史的にもずっとその時々の権力者が権威として用いることで、「実権のない形式的な存在」がずっと生き残ってきた。そうした過去と現在を比較しながら今目の前で見ていたこの奇妙なシステムのことを考えるのは楽しい。


上皇個人への尊敬

 たまたまその立場に立たされただけの人が、それでもその役目を人生かけてやり遂げた、そういう実例を見せられてその当人を「尊敬するな」というのは難しい。
 たまたま生まれのせいで自由がない状況に置かれて、しかも「象徴天皇という過去にないものを作り上げる」というミッションを強制されて、それでも投げ捨てずに引き受けて作り上げた、という物語になっている。(昭和天皇だって20年弱は象徴天皇制で生きてきたはずだけどそういう意識はないとしか思えない。)


 逆に「その立場にあったのにそれを自分のために放棄した」という話は嫌いで、例えば「船が沈没する事故で船長が真っ先に逃げ出した」みたいな話はかなり嫌だ。
 関係ないけど映画監督のM・ナイト・シャマランの作品は一貫して「役目を自覚した人がその役目に殉ずる」という話になっている。よく「最初の『シックス・センス』はどんでん返しが凄い傑作で、『アンブレイカブル』や『サイン』でだんだん落ちて『レディ・イン・ザ・ウォーター』は完全に駄作」という評価を受けがちだけど(ググればそういう感想ばかり出てくる)、「どんでん返しのプロットが凄い」という視点で見るとそうなるだけで、「役目を引き受ける」というストーリーにとって「役目を自覚した瞬間」にどんでん返しが発生するという視点(どんでん返しは手段であって目的ではないという見方)で見ると、むしろそういう仕掛けを使わずにやり切った『レディ・イン・ザ・ウォーター』の方が深化しているし、「迷走」ではなく「ずっと一貫している」という見え方になる。最新作の『ミスター・ガラス』もまさにそういう話になっている。そういう話は大好きなんだ。
 この前社内報で、はんだ付けで初めて社内のマイスター制度に認定された生産子会社の女性が紹介されていた。その人は「たまたま家から近かったから」という理由で就職して、別に望んだわけでもない手はんだの職場に配属されて、それから数十年かけて技術を磨いて「技術だけではだめだ」とはんだの理論も勉強して、後進の育成もやって、いつの間にかグループ2万人の中でその分野でトップになっていたという。そういう話を見るとやっぱ「うおーっ」てなる。


 上皇にとって象徴天皇は「作品」に近いものかもしれない。将棋とかサッカー(の戦略)とかでもそうだけど、ある種の制約がある方が創造性が出てくる。何も制約がない状態だと方向が定まらないのが、あるルール、枠組みの中で効果を最大化させるという方向性が与えられると、そこに向かって先鋭化して凄いところまでたどり着ける。
 すごいプロ棋士とかさっきの手はんだの女性を尊敬するのと似たような意味で個人として尊敬している、という気持ちがあるのは確かだった。


天皇の形骸化の過程

 「天皇制は形骸化して現存している」のだとして、それをきちんと考えようとすると結局、そもそも天皇というシステムが発生した地点にまで遡って見ていかないとよく分からない。


 日本で政治的な実権は豪族(大王)→公家→武家と移っている。
 大化の改新で中国を参考に律令制を導入して中央集権的な国家を目指した時に、「日本」という国号と「天皇」という称号を定めている。その後、律令国家から王朝国家に移行し、さらに武家政治へと移行して、律令制天皇も形骸化した。ここで「形骸化したから廃棄された」ではなく「形骸化したまま残った」というのが特異な現象になっている。
 周辺国では(中国でも朝鮮でも)皇帝も王も消えたのに日本では残ったという差異について、思想家の柄谷行人は『帝国の構造』などで、日本が帝国(中国)の「亜周辺」に位置したという地政学的な視点で見ることが重要だと指摘している。帝国の中心、周辺、亜周辺、という分類で見ると、例えばローマ帝国(中心)に対してフランスやドイツは周辺、海を隔てたイギリスは亜周辺になり、中国の帝国(中心)に対して朝鮮は周辺、海を隔てた日本は亜周辺となる。亜周辺は、中心による直接支配の恐れがない程度には隔たっており、中心の文明が伝わる程度には近接している。このため周辺は帝国の観念と形式を体系的に受け入れようとする一方で、亜周辺では柔軟に選択的に受け入れるという。この違いから天皇(や律令制)がずっと廃棄されずに残ったことが理解される。


 世襲ではなく政変が起きて実権が移る時、新たな権力者の支配を正当化させるための理屈が必要になる。この理屈として中国(帝国の中心)では「天命」という概念や「易姓革命」という理論が出されている。朝鮮(帝国の周辺)でもそれは受け入れられた。一方日本(帝国の亜周辺)では天命というコンセプトは受け入れずに血統のみによって正当性が与えられた。
 天皇の正統性は神が保証する、皇帝の正統性は天命が保証する、という違いになっている。「天命」は曖昧で抽象的な概念というより、具体的には民意とイコールになっている。現実に民衆の反乱によって王朝が交代する時、それを正当化したのは、「もともと天が王に統治を代行させているが、その王が統治者として不適格なので天命を革めた(革命)」という理屈で、この理屈だと「民意を実現すること」に正統性が求められることになる。
 この中国と日本のコンセプトの違いは律令制の違いとなって表れてくる。日本の律令制では、太政官(行政権力)の上に神祇官(祭司を管掌する)が置かれる。また中国の律令制では皇帝が直接権力を持つため太政官のような権力の代行者は置かれない。日本の律令制では、天皇は大王(司祭=首長)の延長として位置付けられ、権力の中心にならないというスタイルを取っている。(奈良時代鎌倉時代天皇が権力を取り返そうとしたことはむしろ例外的な状況で、基本的にはずっと権力が制限されている。)交代する権力者を法的に正当化する役目=権威に徹することで天皇は廃棄されずに存続し得ている。この「司祭である、権力を持たない」という天皇の特徴は、今の時代でも全く同様になっている。


 旧来のシステムを完全に廃棄せず、部分的に新システムを輸入して好きに適用できるのも、直接支配を受けない亜周辺だから可能な態度ということになる。
 大化の改新律令制を完成させたこと自体が、東アジア情勢の緊迫化(百済が滅亡した)で中央集権的な国家にまとめ上げないとやばい、という危機意識から来るものだけど、その時に「徹底的に中央集権的なシステムにまではしない」という導入の仕方ができたのも亜周辺だったからだし、「天皇」という「皇帝よりも上」という称号を勝手に名乗りながらも帝国から放置されたことも、帝国側からすると亜周辺に直接介入(支配)するのがコストに見合わないからという理由による。


 律令制の根幹は官僚機構と公地公民制にあるが、これも日本では形骸化していった。
 科挙(官僚の登用試験)を中国では備えていたし朝鮮でも取り入れられたが、日本では採用されなかった。官職と位階は家によって固定され世襲化した。「官僚制が弱い」という特徴は文字文化にも現れていて、文字を独占すること=過去の公文書にアクセスできて新たな公文書を生み出す能力こそが官僚の特権なので、「誰でも習得できる簡単な文字」を官僚は拒否する。日本で仮名がそのまま定着していったのも官僚機構の弱さを意味するし、逆に仮名の存在のせいで官僚機構が強化されなかった要因にもなっている。漢字・漢文が使われていた朝鮮でも世宗大王が1446年にハングルを創り上げたが、官僚の反発により公文書で採用されるまでに400年以上がかかっている。ちなみに朝鮮やベトナムで漢字が導入され漢姓も導入されながら結局廃棄されてしまう、徹底的に制度が採用されるが逆に廃棄される時は徹底的に廃棄されるのも「周辺」に特有の状況による。亜周辺では導入も廃棄も中途半端になる。
 公地公民制も律令制の外側で荘園ができたことで崩れていった。荘園では国家に代わって警察や裁判の仕事を請け負うものが必要になり、そこに武士が生まれる余地ができた。武士は棟梁と主従関係を結ぶことで中央の国家機構とつながるが、この主従関係は互酬的なもので、軍事的な貢献に対する恩賞が必要となるような関係なので、ピラミッド型の官僚機構にはなり得ない。
 こうして鎌倉時代に、西側を公家が、東側を武家が統治する、国家(古代の公家法)と封建制(新たな武家法)が併存するようなシステムができている。封建制は出てきたものの完全に封建制にはならなかった(権威による正当化が続いた)という特質が、西ヨーロッパのように権力を拘束するような「契約」の観念が日本で出てこなかった理由にもなっているという。


 後醍醐天皇が実権を取り返そうとして南北朝時代が訪れる。天皇親政派の南朝が滅び、皇室や公家、寺社の領地を武家が所有していくことで公家側は弱体化し、公家・武家の二元体制は終わって武家政治の浸透が進む(室町時代)。
 ただし、武家は互酬的な主従関係に基づくので、いきなり中央集権的な官僚機構には転化しない。それで江戸時代の前に戦国時代が入る。
 信長が宗教的権威も朝廷的権威も破壊しようとして挫折し、秀吉が(天皇・朝廷の権威によって関白になるが)中国を征服して皇帝になろうとした(明治以降に日本がやろうとしたことをやった)ら挫折した。この失敗の過程を見ているから、家康はその路線を撤回して、むしろ鎌倉時代の二元性を回復する方向に進むし、朝鮮通信使を再開させて朝鮮との友好関係を復活させ「日本は帝国の亜周辺である」という秩序を回復する方向に進む。「そうした」というより「そうする他に安定させる道がなかった」というのが正しいのかもしれない。
 ただし鎌倉時代と異なり、既に農民=戦士の関係は崩れていて完全に分離されている。実質的には官僚だけど、もう戦士でもない、というアンビバレントな状況に置かれた時に、その心理的な分裂を解消するために初めて「武士道」というイデオロギーが登場する。鎌倉時代の武士は「武士道」で語られるような武士とは全く異なる「奪ったもんが正義」みたいな世界になっている。
 二元性を回復させる、という方針だから天皇も朝廷も律令制も形骸化しながら温存され、権威として利用される。律令制に基づく官位も大名のランク付けや競争心を煽って統制するのに利用された。


 武家政権の終わりも(大化の改新と同様に)外的な状況への危機感から体制の転換が起こり、名目上は「天皇に主権を戻す」(大政奉還・王政復古)となっている。律令制明治18年に内閣制度がスタートするまでは復活しており、その後も省庁名にその名残があった。ここでも天皇は権威としては利用されても実権を伴っていたわけではない。


象徴天皇制の成立過程

 というのが天皇が成立してから実権を失って権威として機能してきた大雑把な歴史になるけれど、じゃあ今の象徴天皇制がどう成立したのか、という話も見ていく必要がある。柄谷行人は『憲法の無意識』の中で、現行の憲法は1条(天皇)と9条(戦争の放棄)をセットで見る必要がある、と指摘する。


 今の憲法が占領軍の押し付けだ、と国粋主義者はよく言うけれど「押し付けだった」という側面と「押し付けではなかった」という側面と両方を見ないと正確に理解できない。「占領軍の押し付けだ」という時、あたかも占領軍が一枚岩で一つの意思を持っている前提になるが現実にはそうではない。
 当時のルーズヴェルト(とその後のトルーマン)は民主党員、連合国軍最高司令官マッカーサー共和党員(で大統領を目指していた)という対立があり、連合国側にも米ソの対立があり、さらに朝鮮戦争への準備という課題があった。アメリカの国内世論でも連合国の中でも天皇の戦争責任追求の声は大きく、さらにアメリカ単独の極東諮問委員会が解消されて米英ソ共同の極東委員会になったという事情もあり、天皇が起訴される公算がだんだん大きくなっていたという状況にあった。
 マッカーサーは自身の回想記の中で、天皇戦争犯罪者として起訴されれば恐らく絞首刑は免れず、その結果日本に軍政を布かざるを得なくなりコストが膨大になるという見通しから天皇制の護持を考えていた、と記している。そうした状況下で憲法草案の作成が大急ぎで進んでいた。「戦争の責任者である天皇を処罰する」という方向を回避するために「天皇は残す、その代わり国家として戦争を放棄させる」という方向に落としどころを見出す。
 回想記の中でマッカーサーは9条は幣原首相側の提案だったと書いている。幣原は第一次大戦後の外相で、戦争を違法化したパリ不戦条約を知っていたし、その不戦条約を捨てた結果が第二次大戦だったのだから、戦後に不戦条約を憲法に組込むというアイディアは幣原首相にとっては自然な流れだった。


 アメリカ人が天皇を残そうとして日本人が戦争放棄を提案した、という側面があったとして、それをあたかもアメリカ人が戦争を放棄させた(日本人は天皇を残そうとした)、という話にすり替えるのは認識が転倒している。ただし「だから押し付けではなかった」と断じることもまた間違っている。仮に外的な強制がなく日本人が自発的に憲法を作れば恐らく明治憲法とさして変わらないものになっていた。現実には双方がそれぞれ承認したし、お互いの利害が一致したから1条と9条のセットでの採用が実現している、押し付けだけど押し付けじゃない、という面を見ないと上手く理解できない。


 マッカーサーナショナリズムから天皇を残そうとしたわけでは当然なくて(アメリカ人だし)、単にそうせざるを得ないからそうしただけだった、というのは示唆的だと思う。「天皇を権威として利用することで、新しい政治体制を正当化する」というやり方は日本の過去の歴史と全く同じだけど、それをアメリカ人もそうした。徳川体制も天皇を残したくてそうしたというより、信長と秀吉の挫折を見た以上、鎌倉時代の体制の復活しか道がなかった、という見方と同じだ。天皇を残したくて残したわけではなくて、そうすることがトータルでコストが低いからそうした(そうせざるを得なかった)、というのが今まで天皇制が生き残ってきた肝なのだと思う。


 1条が目的で9条が手段だったというのは、その後に朝鮮戦争が勃発してからマッカーサーが日本政府に再軍備を要求したことからも明らかだった。ただこの時、吉田首相が警察予備隊(後の自衛隊)を作ることでその要求にある程度応えつつ、憲法改正(9条の廃止)は斥けている。
 吉田茂は自著『回想十年』の中で「一体、私は再軍備などを考えること自体が愚の骨頂であり、世界の情勢を知らざる痴人の夢であると言いたい。」と書き、再軍備反対の理由として(1)コストが見合わない、(2)国民の心理的基盤がない、(3)敗戦処理が終わっていない、の3つを挙げている。戦後アメリカの占領政策の一環としてマスコミや民間調査機関による世論調査の実施があった。「国民の心理的基盤」はこうした世論調査を通して把握される。吉田首相が思想的に9条護持だったからというより、その時点で世論の反対が目に見えていて強行すれば政権がもたないという判断があったことも9条の廃止へ進まなかった理由になっている。
 その後も選挙になると憲法改正(9条廃止)を引っ込めて、選挙が終わると言い出す、というパターンを繰り返しているのも、「経済再生」とか「実績」とかはアピール材料にできても「改憲・9条廃止」などを前面に押し出すと選挙で勝てない、という見込みがそうさせているのだろう。


 強制だったはずなのに逆に根付くという現象について、柄谷行人フロイトを援用する。フロイトは、倫理性があるから欲動の断念が起こるというより、最初に外部から欲動の断念を強制されることで倫理性が生じて、その後に自発的な欲動の断念が起こる、と言う。「最初から内発的に選んだもの」よりも「最初は強制されて後から内発的に選んだもの」の方が強力に残る。
 これは平成の時代に天皇が「象徴天皇」を完成させたことにも言えるんじゃないかと思う。「象徴天皇を実践しろ」「自由を諦めろ」というのは外部からの強制だけど、むしろそれを当人が積極的に実現していく、ある種の強い「倫理性」を伴って完遂したというのも、この「自発的な欲動の断念」の仕組みなんだろうと思う。


基本的人権の成立過程

 最初の方で「天皇制は人権侵害だ」と書いた。ここには「人権は誰にでも保障される」という考えが前提されている。さらに「だから憲法は人権を全ての人に保障するべきだ」という前提がある。しかしそれは自明なことなのか、という疑問がある。
 憲法は国民に対してのみ人権を保障している。「国民の権利が保障されない人」には天皇(皇族)の他に、日本国籍ではない人、つまり外国人(あるいは無国籍者)がいる。東大法学部教授で憲法学者の長谷部恭男が『憲法と平和を問い直す』の中で「国民」がどういう形で登場したのか、憲法が「国民」にのみ対象を絞る意味は何なのか、という点について語っている。


 立憲主義は「国家のない自然状態にあった市民が、その状況下での様々な困難を解決するために、社会契約を結んで国家を設立した」というフィクションを基礎として成り立っている。それが「フィクションだ」というのは嘘というより、歴史的な成立経緯を一旦捨象して理論付けるとそうなる、という意味。
 現実にはいきなり自然状態から移行したわけではなく、身分制社会を解体する過程があった。中間勢力(教会や大学、同業者組合など)にあった権力を絶対君主が吸い上げたことで「主権」という観念が登場し、中間勢力が解体されたことで素の「国民」が登場する。これが近代国家の枠組みで、さらに「国民」が「主権」を絶対君主から取り上げる(市民革命)と国民主権になる。国民主権に伴って、「人が生まれつき持ち国家権力に侵されない権利」=基本的人権という観念が現れる(イギリスの権利章典アメリカの独立宣言、フランスの人権宣言など)。
 日本の場合、幕末~明治に早急に国家体制を確立させる必要があったので(「主権国家ではない」と見做されると西欧によって植民地化される恐れがあったので)形態を模倣しただけで、市民が絶対君主から主権を奪うという市民革命の形態を伴う移行ではなかったこともあり、そのまま天皇は残存した。(そもそも天皇には実権がなかったのだから「主権を取り上げる」こと自体が不可能だった。)
 天皇が国民から除外されているというより、歴史的な過程で言えば国民の方が後から登場している。身分制秩序の解体の過程で一部(天皇・皇族)が残存した。


 そうした歴史的な過程で人権が登場したとして、現在の視点で「普遍的な人権を国民に限定して保障するのはなぜか」という疑問に対して、長谷部恭男は「現実的に効果を持たせるための便宜」という解釈を提示する。
 国籍は「その人の人権を保障する責任を最初に追うのはどの国家か」を特定するためのラベルに過ぎない、という見方になっている。優先席を作っておいて「あなたがまず席を譲る責任を追う」と特定させておいた方がちゃんと譲りやすい、みたいな話かもしれない。(横浜市営地下鉄が「全席優先席」を導入したら誰も譲らなくなったので数年後に結局「最優先席」を作ったという話をちょっと思い出す。)
 この解釈からすると、優先席じゃないから席を譲らなくてもいい、という話にはならないのと同じように、外国人だから人権侵害を無視してもいい、という話にはならない。誰かが人権侵害を受けていて、第一次的な国家がその保障を実現できない(あるいはその国家が人権侵害を主導しているような)場合には、その国家に限らず別の国家が保護に努める。(例えば違法在留として外国人を非人間的な・酷薄・無残な環境に国家が留め置くよう強制することはそのため、「自国民ではない」という理由で正当化されない。)
 国家間の任務の分担や国民のコスト負担の公平性といった課題が解消されるのなら、むしろ外国人への基本的人権への制限は緩和する方向に進める、というのが自然な流れということになる。


 「普遍的な人権」というコンセプトも自明なものではなく、ある程度国際的なコンセンサスが取れたのは1990年代ぐらいと比較的最近のようだ。松井芳郎らの『国際法[第5版]』ではその経緯が解説されている。
 第二次大戦で連合国側が戦争目的として「人権の保障」を掲げたところから、その後の国連憲章で初めて「人権」という概念が書き込まれ(1条3 55条c)、実定国際法に持ち込まれた。ただこの時点では国家に対して「促進の義務」だけが課され「保護の義務」までは課されていない。国連憲章では人権の普遍的概念が存在するわけではなく、人権保障は国内管轄事項であって国連による干渉が禁止されている。
 冷戦の終結後になって保護義務が出てくる(1993年ウィーン宣言及び行動計画)。ここでようやく普遍的人権という概念のコンセンサスが国際社会で成立し、それを受けて93年に国連人権高等弁務官が、06年には人権理事会が設置されている。


 ここまで見てきたように「あらゆる人の人権が憲法で保障されるべきである」という命題が自明か、というとそこには当然歴史的な成立過程や経緯があり、自明ではない。「天皇憲法で人権から疎外されている」という状況も必ずしも自明に「おかしい」とは言えない。
 しかし時間をかけながら国際社会の中でも人権が普遍化していき、日本でも身分制の存続による政体の権威づけの必要性自体が薄れていく状況の中にあって、「歴史的なある種の必然性があるから存続させるのは当然だ」とは言えない。「自明におかしいとは言えない」という話は「だから未来永劫このままだ」と言うためにあるのではなく、「過去を踏まえた上で、未来を考える」ためにある。


 長谷部恭男は「象徴」について、みんながそれを「象徴だ」と思うことによって成立する、と指摘する。具体的なモノが抽象的なコトの象徴になるのは、みんながそう思うことが原理的に必要になる。憲法第1条は「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」である。この「国民の総意に基く」は「象徴」の特質そのものがあえて書かれたものになっている。
 国民の多くが「この個人(天皇)」を「日本国の象徴だ」と思うことで成立するのだから、身分制秩序に基づく天皇という存在を大多数の国民が象徴として認めなくなれば自然に解消されるということだ。これはちょっと貨幣の金本位制みたいな感じかもしれない。1970年代に金とドルの兌換が停止されたけど、権威や象徴として必要がなくなれば、そうした形でリンクが切れて解消へ向かうのかもしれない。「貨幣」も「主権」もバーチャルなものだけど、定着すればそれを権威付ける「金」も「天皇」も離していけばいい、ということかもしれない。


天皇個人としては尊敬すること」と天皇制の関係

 「象徴は、みんながそう認めることによって象徴になる」という特質(憲法の条文上もそうなっている)を考えると、実は「天皇上皇)を個人としては尊敬する」というのは、象徴であることを成立させる要件に他ならない。「制度としては人権侵害だと思っている」「でも個人としては尊敬している」というのは「私は制度には反対だが、私は制度を強化する」という態度になっている。


 しかし「個人としてその生き方を尊敬する」という気持ちを無理やり否定することはできない。仮にそれを直接的に外部から否定しようとすれば(匿名ダイアリーの記事に対するブックマークコメントなどがそうだったように)単に感情的な反発を生むばかりで、かえって制度の廃止からは遠ざかる一方だ。「天皇制の廃止論が盛り上がらない」というのはその意味では当然で、ダイレクトに廃止を主張すれば「尊敬する気持ち」に真っ向から抵触するから、ほとんど賛意を集めることができない。


 「だから天皇制は永続します」ということではなくて、先に見た「象徴であること」の要件が失われれば、その時廃止論が現実的に俎上に載るのだろうと思う。象徴だとみんなが認めなくなる状況を考えればいい。

  • 当事者(天皇もしくは後継者)が象徴として認められない人物である
  • 後継者がいなくなる

が複合的に起これば廃止論がその時具体化してくるんじゃないかと想像している。
 「当事者が象徴と認められない人物」というのは、怠惰とか暗愚とかで国民が尊敬しようがない人物、というパターンもあり得るけれど、仮にそうした人物だった場合は「その人物を排除しろ」という世論が出てくるだけで制度の廃止には繋がりにくいだろうと思う。むしろ当事者本人が「私は国民になりたい」と国民に直接問うような事態なのかもしれない。それは「人権を回復したい」という願いだから、否定するのが難しい。しかもその時に「代わりの誰か」がいない状況である時、初めて廃止論が現実的に出てくるんじゃないか。
 また「後継者がいなくなる」場合、その時は代わりの誰かを担ぎ上げようとする動きは当然出てくる(具体的には戦後に皇籍離脱した11の宮家のうちの男系男子)。この時「そんな一般人をいきなり『日本の象徴です』って言われてもそうは思えないよ」という世論がはっきり立ち上って、その状況下で誰も受けられなくなれば「天皇制を廃止する以外の選択肢がない」状態になるのだろうか。「当事者が象徴として認められない人物である」の一パターンだ。
 そんなわけで「その人物を象徴として認められない」と「後継者がいない」の二つが絡み合いながら発生する時に、制度の廃止が現実に生じてくるのではないかと思っている。


 大西巨人が晩年のインタビューの中で語っていたことを思い出す。

日本にある天皇制なんていうものを成立せしめているのは、いわば民衆だよね。民衆が下から天皇制を支えている。(中略)人民そのものが天皇制を成り立たせないようにするためには、やはり何十年単位ではできない、何百年単位で考えていかなければいけないことだ。

『未完結の問い』(pp.224-225)


象徴天皇制の強度

 象徴は「みんなが象徴だと認めること」で象徴であり得る、という原理を改めて考えると、「象徴になろうとする」というすごくバーチャルな課題を達成するために必須の技術は「世間の空気を先読みすること」なんだなと思う。徹底的に「みんなが納得して肯定してくれるあり方」を外さずに先手を打ってやり続けることが必要になる。
 沖縄・東南アジアの戦災地を訪問して祈るとか、被災者の前で膝をついて話を聞くとか、周囲に「前例がない」と反対されたとしても結局そうしないと国民の肯定は得られないという判断があったからで、実際にそうして肯定を積み重ねていった。しかもそれをストイックに実行し続けるという姿勢が必要になる。


 象徴天皇ってある意味で被災者にも似たところがあると思っていて、本人の意思とは無関係に理不尽な事態に遭遇する(人権を奪われる/災害に遭う)。それに対する人々の反応は「同情」だけど、当事者が「かわいそう」を飛び越えようとすると「生意気」として叩き始める。かつての皇太子妃(現皇后)へのバッシングや、今の眞子内親王の婚約にまつわる秋篠宮家へのバッシングも、自身のキャリアを尊重するとか、好きな相手と結婚するとか、普通の権利を主張しようとすればバッシングする連中が出てきてしまう。
 被災者に対して「かわいそうな範囲でけなげに頑張ってくれる分には構わないけど、そこを乗り越えて権利を主張するのは許さない」みたいな態度を取る人達がいる。支援してやってるんだからしおらしくしてろ、みたいな気持ち。皇族に対しても「国民の税金で生活してる癖に」という思いがそうした人達にはあるという点で似ているなと思って。「一番上だけど一番下」になっている。
 そういう連中を無視して好き勝手にやる、という態度を取らずに、むしろそういう連中も文句を言えないような「健気な」態度を貫徹させる、「偉そうだ」とは徹底して思わせないのが、「空気を読み切る」技術なのかもしれない。


 上皇が譲位にこだわったことは象徴天皇制を完成させるという意味では完全に正しい判断だった。「国民がその個人を象徴と認めなければ象徴ではない」という原理からして、「年老いて仕事はできないが死ぬまで地位に留まる」というあり方が、象徴であることにとってマイナスだという判断があったのだろうと思う。この譲位は単に「責任感が強いので仕事が全うできないなら引退する」といったレベルに留まらず、当人にとっては「象徴天皇の危機」に近い感覚だったんじゃないか。
 譲位について政府が消極的(反対)だったのを無理に押し通したとしても、必ず国民の肯定が得られるはずだ、それは象徴であることにとってプラスなことなのだから、という理解がベースにあって、事実世論が後押ししたため政府はそうせざるを得なくなって実現している。


 平成の天皇(現上皇)は、「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」を最も真剣に考え抜いて実践に移すことで、象徴天皇制を完成させるというミッションを貫徹した人なのだと思う。(それが歴史全体で見た時に幸福なことかどうかはまた別の話だとしても。)
 昭和天皇象徴天皇制を経験しているが、「世間の空気を読み切る」という技術は全く持ち合わせていなかったし(戦後30年も経ってるのに記者会見で「広島市民は気の毒だけどやむを得ないと思っている」と発言するくらい緩いので)、象徴天皇制を真剣に考えて形にしたのは平成の天皇だった、ということになる。


 ちなみに新天皇が即位後朝見の儀で「皇位を継承するに当たり、上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し、また、歴代の天皇のなさりようを心にとどめ」と挨拶するのをテレビの中継で聞いた瞬間、(歴代天皇のやり方も参照するってことは、後鳥羽天皇後醍醐天皇みたいに政府転覆をねらってく可能性もゼロじゃない?)と思ってわくわくした。それは冗談だけど、でも象徴天皇制で参照すべきなのは恐らく上皇だけのはずで、「過去の天皇を参照する」って具体的にはどういうつもりで入れたんだろう? という違和感があった。クーデターで隠岐に流されるのかな。(単に「過去の歴史をちゃんと見るよ」くらいの意味だとは思うけど。)


 国粋主義者(現政権など)が譲位に消極的で、さらに「後継者が途絶える」問題への解決策の模索(女性宮家女性天皇女系天皇)にも消極的だというのは、根本的に象徴天皇制を理解していないところから来るのだと思う。恐らく明治憲法の感覚で「天皇の権威」を考えている。本人の意図とは真逆に、天皇制の護持をうたいながら、むしろ現実的には廃止に向かわせるのは、象徴天皇制を過去の天皇制と取り違えて理解しているところから来るんじゃないか。
 そう考えるとかえってこのまま国粋主義者にお任せしておいた方が天皇制廃止にとっては有利なのかもしれない。どうにも首が回らない状況に陥ってから、世論が認めないような代案を苦し紛れに提示して、結局は廃止への道しか選択できなくなる。でもきっとその前に、危機感を正確に認識している当事者(天皇・皇族)の側から何としてでも世間が納得するような方向性の提示が出てくるのだから、そうはならない。やっぱり大西巨人が言うように「何百年単位で考えていかなければいけない」ってことなのかな、とぼんやり思っている。



憲法と平和を問いなおす (ちくま新書)

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未完結の問い

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