今年の2月に兵藤裕己『平家物語 <語り>のテクスト』を読んですごく面白かった。平家物語のバリエーションの違いや生成される過程も考えて、平家物語がどういうテクスト・構造になっているのかを見ていく営みになっている。
その頃はアニメの『平家物語』もやっていたり、大河ドラマの『鎌倉殿の13人』も源平合戦あたりだったり、その後アニメ映画の『犬王』が公開されたり、ちょうど平家物語に絡む作品も多く公開されていた時期でもあった。
すごく面白かったけど、本書はシーケンシャルな(あまり整理されていない)書かれ方になっていて、もう少し全体を自分なりに整理して把握したいと思って、まとめ直し始めていたものの途中で放置してしまった。整理しきれていなくても、自分で参照できるように(年をまたがないうちに)置いておこうと思った。
本書は1998年の刊行で、ひょっとすると実証的な部分でその後研究が進んで否定されている事実関係などもあるのかもしれない。
平家の主要人物
登場人物が膨大で、ある程度名前とキャラが一致していないと理解が難しいのでまとめておく。(清盛起点での世代別)
ついでにアニメ『平家物語』、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の声優・俳優も記載する。
【清盛】
【清盛の子】
- 平重盛 (声:櫻井孝宏) :平家の棟梁。善の象徴。後白河法皇に近い立場。妻の兄(藤原成親)が鹿ケ谷の陰謀(平氏打倒の謀議)に参加し処罰されたことで平家一門の中で立場が悪化。源平合戦が始まる前に病没。
- 平宗盛 (声:檜山修之、演:小泉孝太郎) :重盛の異母弟。重盛没後に平家の棟梁。重盛との比較で愚鈍な人物像で描かれる。壇ノ浦で息子・清宗と一緒に捉えられ処刑される。
- 平知盛 (声:木村昴、演:岩男海史) :宗盛の弟。兄・宗盛が文人気質で政治担当、弟・知盛が武人気質で軍事担当、という対象。壇ノ浦で入水。(ちなみに声優の木村昴は鎌倉殿では俳優として以仁王を演じている)
- 平徳子・建礼門院 (声:早見沙織) :高倉天皇の妻。安徳天皇の母。壇ノ浦で入水するが助けられ、京へ送られ仏門に入り平家一門の菩提を弔う。
- 平重衡 (声:宮崎遊) :宗盛、知盛の弟。文武兼備で人々に愛される人物として描かれる。清盛の命で南都焼討を指揮。一ノ谷の戦いで捕らえられ鎌倉へ送られた後、源頼朝に厚遇されたが、寺院勢力の要請で南都焼討の主犯として奈良で斬首。
【清盛の孫】
- 平維盛 (声:入野自由、演:濱正悟) - 重盛の長子。美貌で「光源氏の再来」と呼ばれた。後白河法皇50歳のイベントで青海波を舞ったエピソードが有名。一ノ谷の戦い前後に逃亡、高野山へ入り出家した後、那智(和歌山県)の海で入水。
【清盛の曾孫】
時系列
- 1156 保元の乱:後白河天皇vs崇徳上皇→上皇が負けて讃岐へ配流。武士の力を借りたため武士の地位が向上。後白河上皇の院政が始まる。
- 1159 平治の乱:平清盛vs源義朝→義朝が負けて頼朝が伊豆(静岡県)に配流。
- 1177 鹿ケ谷の陰謀:後白河法皇の近臣による平氏打倒の謀議。密告で発覚。西光は死罪、藤原成親は備前(岡山県)に配流後殺害、俊寛・平康頼・藤原成経は鬼界ヶ島(鹿児島県 薩南諸島)に配流。
- 1179 平重盛、病没
【治承・寿永の乱】以仁王の挙兵~壇ノ浦の戦いの一連を指す
1180年
- 以仁王の挙兵:以仁王(後白河法皇の第2皇子)と源頼政が挙兵、全国の源氏に平氏討伐の令旨を出す。平知盛・重衡が追討。
- 福原遷都@兵庫県神戸市:平清盛が京都から都を移す。
- 石橋山の戦い@神奈川県小田原市:源頼朝が大庭景親(平家方)に敗れ、海を渡り安房(千葉県 房総半島)へ脱出。
- 源義仲(木曽義仲)の挙兵@長野県上田市:以仁王の令旨を受けて。
- 源頼朝の鎌倉入り@神奈川県鎌倉市
- 富士川の戦い@静岡県富士市:平維盛vs源頼朝・武田信義。水鳥の羽音に驚いた平家方が交戦せず敗走。
- 京都遷都:平清盛の判断で源氏挙兵に備えて都を戻す。
1181年
- 南都焼討@奈良県奈良市:平清盛の命を受けて平重衡が東大寺・興福寺を焼く。寺社勢力が以仁王の令旨をきっかけに反平家に回っており対抗するため。
- 平清盛、病没
- ※この間、養和の飢饉、安徳天皇の大嘗祭などが重なり小康状態
1183年
- 倶利伽羅峠(砺波山)の戦い@富山・石川県境:平維盛vs源義仲。平家、10万の軍の大半を失う。
- 平宗盛が京都防衛を断念し、安徳天皇・三種の神器・女院を伴い西国に逃れる。(後白河法皇は比叡山に脱出・都落ちに同行せず)
- 木曽義仲が上洛。都の治安維持・食料調達が上手くいかず略奪・狼藉が横行。次期天皇擁立で後白河法皇・公卿の反感を買い、義仲の評判が落ちる。
- 水島の戦い@岡山県倉敷市:平重衡vs木曽義仲。義仲軍は壊滅、京都へ敗走。孤立した義仲は後白河法皇を幽閉し傀儡政権を樹立。
1184年
- 宇治川の戦い@京都府宇治市:木曽義仲vs源範頼・源義経。義仲は戦死。範頼・義経は入洛し後白河法皇を確保。梶原景季と佐々木高綱の「宇治川の先陣争い」の著名なエピソードがこの時。
- 義仲討伐の源氏内紛の間に、平家は勢力を盛り返し、西から東へやや戻っている。
- 一ノ谷の戦い@兵庫県神戸市:平家vs源範頼・源義経。平氏は一門の多くを失い西へ敗走。義経の「鵯越えの逆落し」や、熊谷直実と平敦盛の一騎打ちがこの時。
1185年
- 屋島の戦い@香川県高松市:屋島に本拠を構えていた平氏が源義経により攻略される。那須与一の「扇の的」や義経の「弓流し」がこの時。
- 壇ノ浦の戦い@山口県下関市:中四国の水軍をまとめた義経軍と、九州を制圧した範頼軍に包囲され平氏が滅亡。安徳天皇・二位尼が三種の神器とともに入水。建礼門院も入水するが助け出される。
1186年
- 鎌倉幕府成立
概要
- 基本的に平家物語は「平家は悪行の因果で滅んだ」がコンセプト、「平家の怨霊を鎮魂する」が成立理由。
- ただ実際のテクストや成立過程をつぶさに見ると、そこまで単純ではない。
- 様々な転倒や矛盾を含んでおり、その辺りを見ることで平家物語を把握していく。
鎮魂のための平家物語
- 平家滅亡@壇ノ浦 →3ヶ月半後に大地震@京都 →6年後に後白河上皇発病
- これらは「平家の怨霊」が原因と考えられた。
- 「平家怨霊の沈静化」は京都社会の政治的課題となった。
- 延暦寺は国家的な鎮魂儀礼の場だった。平家物語も延暦寺周辺で成立したという仮説が有力。
- 平家物語は、平清盛を「過去最大の朝敵」と位置付ける。清盛の亡霊に「悪行のせいで必滅したんだよ」と言い聞かせる体裁を取る。
悪と善の象徴
- 平家物語では「清盛(悪)-重盛(善)」の構図。
- 重盛は父である清盛を諌め、秩序を守護する者という位置付け。
- その構図を補強するために史実も歪曲している。
- 「殿下の乗合」事件での摂政への仕返しは、史実では重盛が企てているが、平家物語では清盛に改変されている。
- 「弟の宗盛は重盛より劣る」という構図で、宗盛は重盛の死後その代役(清盛の諫め役/秩序の守護者)を果たせない。
源平の構図
- 「源平は共に朝廷に仕えて拮抗すべき存在」という前提がある。
- しかし保元・平治の乱で源氏が没落→平家が繁栄を極める→「源平拮抗」のバランスが崩れている、という状況が平家物語のスタート地点。
- 「平家は朝廷を軽んじるが、それを戒めるべき源氏が没落している」という構図。
- 「源平が拮抗して交代する」構図は源平合戦以降の歴史にも引き継がれる。時の権力者はそれを意識している。
- 「源平の権力抗争・交替」の枠組みに収めて、朝廷を支える正統制を持つことで、中世~近代の天皇制国家が強化される。
- 運動会や紅白歌合戦で紅組(平家)と白組(源氏)に分かれるのもその名残り。
- ※アニメ映画『犬王』の冒頭で一瞬、運動会や紅白歌合戦のシーンを出しているのも「現代と源平合戦の繋がり」の提示になっている。
源平合戦
- 治承・寿永の乱は、現実には当初から源平合戦として認識されていたわけではない。
- しかし平家物語では過去に遡って「源平の抗争」の構図を適用する。
- 頼朝挙兵も、畿内社会からは当初「朝廷への反乱」と受け止められた。
- 京都の頼朝感が実際に「源平の抗争」に変化したのは、富士川合戦で維盛が頼朝に大敗した後、頼朝が鎌倉に留まり内乱が小康状態になったタイミング。
源頼朝と「朝家の御まもり」
- 平家一門では重盛だけが将軍の器だった→重盛が死ぬと源平全体で頼朝だけが将軍の器になった、という構図。
- 源頼朝は平家だけでなく、源氏の「おごれる者」木曽義仲・源義経も鎮め、「仏法を興し、王法を継いだ」から勝利した、という理屈で平家物語の中で正当化される。
- 現実の頼朝は平家以上に強固な武家政権を築いて全然「王法を守っている」わけではないが、平家物語では「王朝の秩序回復者」という位置付けになる。
- 『愚管抄』も平家物語とこの思想的な枠組みを共有する。
- 「壇ノ浦合戦で宝剣(三種の神器のひとつ)が失われた」事実も、もともと宝剣は「君の御まもり」だったが、鎌倉幕府・武士が今は「君の御まもり」になったから失われた、という理屈を愚管抄も打ち出している。
- 愚管抄は、後鳥羽院と鎌倉幕府の関係が悪化した時期に書かれている→「幕府は朝廷と対立する存在ではなく『君の御まもり』」というイデオロギーを立てる企てになっている。
- 承久の乱で鎌倉幕府側に破れて隠岐に流された後鳥羽院は、平家物語では悪王という位置付け。
- 政権基盤の正統性を「朝家の御まもり」に求める。
「平家は悪行の因果で滅びた」コンセプトの崩れ
- 平家物語では、平家の滅亡だけでなく源氏の滅亡も語られる。
- 「源平盛衰を因果論(平家の悪行)で説明する」コンセプトは、平家物語の進行過程で破綻している。
- 巻1で「平家一門は悪行で滅亡」の構想を打ち出すが、平家のおごり・悪行と無関係な章段も実際には多い。
- 平家物語でも、挙兵時点の頼朝は朝敵の位置付けで、朝敵の先例(名前)が列挙され「朝敵は必ず滅ぶ」と語られる。
- 頼朝が入手した後白河法皇の院宣の中にも「朝敵は敗北する」と書かれる。
- 「平家が頼朝追討に向かう宣旨」「頼朝が入手した平家追討の院宣」の双方が相対化されている。
「末世→仏法&王法が衰微→崩壊が加速」というコンセプトへの置き換え
- 「平家一門の奢り・悪行のせいで王朝国家が崩壊する」というより「末世なので仏法・王法が衰微した結果、崩壊が加速する」という理屈が平家物語に内在している。
- 「王法の衰微」の実例として平家物語では以下が描かれる。
- 「仏法の荒廃」の実例としては以下。
- 「末世だから秩序が崩壊」だと「秩序に基づく因果論」は物語の原理にならなくなってくる。
畿内/畿外
- 畿内はコスモス、畿外はカオス、という基本イメージがある。
- 畿内のエリア=大和+山城+摂津+河内+和泉(現在の京都府南部・奈良県・大阪府)
- 四堺:[東]名墾(三重県名張市)、[南]兄山(和歌山県葛城町)、[西]赤石(兵庫県明石市)、[北]逢坂(滋賀県大津市)
- 畿内から見た畿外は、村落共同体でいう「川向う」、境界の外、タブー視されるエリア。
- 畿外(東国や北国)での朝敵の蜂起は「日常世界を脅かす非日常の霊物」のイメージ
- 境界に巫系の芸能民や宗教民が集住する。逢坂には蝉丸、明石には覚一という琵琶法師の二大元祖がいるのはそのため。
畿外=怨霊の集積というイメージ
- 畿外は「敗者や王権からの疎外者の怨霊の本拠地」としてイメージされる。
- 怨霊が人に奢れる心を発生させる→その人が朝敵になったり悪行をする→そいつも畿外に追放されて怨霊になる、という負のスパイラルがある。
- 国を乱した者は死後に怨霊となり秩序世界を脅かす。
畿内と畿外の反転
- 「平家=秩序世界の中枢」のはずが実は朝敵だった、という内と外の相対化・反転がある。
- 中世世界では「畿内=王朝の歴史 vs 畿外=王朝からの疎外者・敗者の物語」の構図が反転する恐れにリアリティがあった。
- 「地方(東国)=異端=混沌 vs 中央=正統=秩序」の枠組みも、「中央も異端だった」という転倒が起こる。
- それで境界での呪術・巫術が必要とされる。
平家物語のバージョン
- 「平家物語」にも様々なバージョンがある。
- 大きくは「読み本」と「語り本」がある。
- 読み本:延慶本と同系統の本の呼称。長門本、源平盛衰記など。分量が語り本の2倍近く、ボリュームがある。
- 延慶本:記録や説話類の寄せ集めのような構成。古い形態と考えられる。
- 語り本:現在一般に読まれている平家物語。当道(語りの芸能の座組織)周辺で伝承。正本系と非正本系に分かれる。
語られる平家物語
- 平家物語は「書かれたテクスト」ではなく「声に出して語られるもの」で、その都度生成される。
- 装束描写:着衣の順序に従って描写される。これは武将の口寄せ語りの様式を原型的に受け継いでいる。
- 人名の列挙:琵琶法師の語りの声として響くと「こちら側を脅かす霊の堆積」としてリアリティを持って立ち上がってくる。「書かれたテクスト」として見てしまうと単に「実例の列挙で説得力を持たせている」だけに見えてしまう。
- 乱の後に日本各地(京都中央や源平合戦の起こった地域)で、平家滅亡の語りが同時多発的に発生する。
- 統一的に編集・整理される前に、念仏の聖や尼のネットワークを通じて語りが形成されていく。
- 高野山、東山、大原、西山は平家と縁の深い聖や尼の隠棲地になっていたため、それらの地域で特に発生する。
- 「文筆家が編集して平家物語が成立した」という通説を疑い、「編集される前の平家物語」を考える試みがかつてあった。
- 寺院社会で成文化されたのは、単なる編集というより、領民支配のためでもあった。
軍記物が農村で受容されるバックグラウンド
- 軍記物:義経記、曽我物語、保元・平治・平家物語など
- もともと農村には「田遊び」の概念がある。
- よそから神が来る→神が田についた怨霊と争う→神が勝つ→田が実る、というプロセス。
- 土地の怨霊=恨みを抱えて死んだ人々。怨霊に名前がないと不安なので軍記物が利用される。それを芸能民が伝搬して広まる。
- 近畿以西で、虫送りの藁人形が「サネモリ様」「イナベットウ(稲別当)」と呼ばれるのもその実例。
- 平家方の武将、斎藤別当実盛に由来する。70歳を過ぎて若武者姿で戦死した。異様な姿で死んだ実盛の霊を、村の疫病や虫害と結び付ける。
- サネモリ様・イナベットウに限らず、虫送りや疫病送りの藁人形は馬上の武者姿が一般的になっている。
- 災いの原因を依代に転移させて、境外にまつり捨てることで、共同体の秩序と安寧が維持される。
二人で語られる平家物語
- 「来る神vs土地の霊」はシテ/ワキの掛け合いとして演じられる。
- これは平家物語以前からある「二人舞」がこの形式で、農村の信仰習俗の型を持っている(と折口信夫が考えた)。
- ※お笑いの漫才もルーツを辿るとここら辺に行き着く。
- 平家物語もシテ/ワキの二人で演じられる場合があった。(ツレ平家と呼ぶ)
- 「敦盛の最期」のシテとワキの語り分けは、所作を加えるとそのまま能の「敦盛」に近くなる。
- 鎌倉・室町時代の絵巻類だと中世の琵琶法師は二人連れで遊行している。
- 霊争いの構造を、平家物語は物語の構造として内包している。
水=死のイメージ
- 平家の死・滅亡は水のイメージを伴うことが多い。
- 重盛の三男清経:都落ち後に前途を悲観して入水する。
- 北の方の小宰相:一の谷の合戦後に通盛の戦死を知り入水する。
- 重盛の長男維盛:妻子への断ちがたい思いから戦線を離脱して入水する。
- 最期は壇ノ浦で一門がことごとく入水する。
- 壇ノ浦で滅亡する平家一門は、王朝末期社会の災厄の依代
- 御経流し:安徳天皇を弔うため、毎年3月24日に法華経を流す行事。流れ灌頂の一形態。
- 流れ灌頂:水死者などを弔う死者儀礼。お経を書いた布を水辺に張って、通行人に柄杓で水をかけてもらう。文字が消えると成仏できるとされる。
- 建礼門院の後日談が「灌頂巻」と名付けられるのは、第一に灌頂が秘曲伝授を意味するためだが、流れ灌頂のイメージ(水による浄化のイメージ)も重ね合わされているのかもしれない。
恩愛=罪の反転:宗盛・維盛のケース
- 恩愛や執心=罪というのが基本的な唱導の価値観だが、宗盛や維盛のエピソードでそれが反転する。
- 宗盛や維盛の最期には「善知識の聖」が登場し、妻子への執心を断つように促す。
- 宗盛は潔さとは程遠い死に方をする。途中は戯画的に描かれるが、最期はかなり同情的な語られ方になる。
- 壇ノ浦で次々に入水する平家一門の光景を船上から呆然と眺めていると郎等に突き落とされ、息子の清宗が沈んだら自分も沈もうと思って泳いでいるうちに源氏に捕まる。
- 京へ連れ戻され、次男 副将との再会を望む。対面が叶うと、早くに母を失った副将への格別の思いを告白する。
- 副将が六条河原で斬首後(享年8)、嫡子 清宗と共に鎌倉へ送られ源頼朝と対面するが、不甲斐ない態度をさらして憐れみの目で見られる。
- 宗盛・清宗父子は義経に連れられ京へ戻る途中、近江で処刑される。
- ここでは善知識の聖として「大原の本性房・湛豪」が登場し、宗盛に恩愛を断つよう促す。
- 宗盛は湛豪の説得に納得して念仏を唱えるが、首を落とされる瞬間に「清宗も既に(斬首された)か」と息子を気にかけて絶命する。
- 維盛が妻子への執心を断ち切ろうとしてできない物語も同じ。
- 恩愛=罪の価値観を平家物語は(というか唱導は)提示するが、実際の描かれ方は宗盛や維盛の心情に同化していく。
- 善知識の聖も「自分まで心が弱くなってはいけないので、涙を押し留めて説法する」と宗盛・維盛に対して同情的。
一門の罪業を集約的に担う重衡
- 重衡は南都攻めの総大将として東大寺・興福寺を焼き滅ぼす大罪を背負う。(自ら進んで焼いたわけではないが、結果的に焼けてしまう。)
- 一ノ谷合戦で生け捕りにされ京に連行され、法然と対面し「君に仕えること・世に従うことが結果として罪になる」認識を示す。
- 重衡はその後、鎌倉から奈良へ送られ、南都の僧から武士に引き渡された後、木津川のほとりで斬首。
- 重衡の最期には、維盛や宗盛と異なり、善知識の聖が登場しない。重衡が自らの善知識になり、本人の口から「悪人」の救済が語られる。
- 善知識の聖vs物語の主人公、念仏聖vs憑坐(よりまし)の二項対立が重衡の物語に至って解消・同一化される。
建礼門院の物語
- 平家滅亡後に恋人・夫・子に死に遅れた女性らが尼となる。
- 平家物語で女性を主人公とする物語の多くは、かつて念仏の尼たちの懺悔語りとして語られていたもの。
- その代表が建礼門院。(清盛の娘で高倉天皇の妻、安徳天皇の母。壇ノ浦で安徳天皇を追って入水するが助け出される)
- 建礼門院は平氏滅亡後に大原に出家・隠棲。そこへ後白河法皇がひそかに訪問するのが「大原御幸」というエピソード。
- 平家物語(覚一本)では灌頂巻で描かれる。
- 建礼門院(徳子)は法王に、仏教の六道になぞらえて自らの人生を語る。
- 六道語りは、維盛・宗盛・重衡の懺悔語りと同じ構図。「恩愛の執心(罪業)をきっかけに弥陀の本願にたよる」形が共通する。
- 建礼門院にとっては我が子 安徳天皇への思い。そこで同時に清盛の「悪」の物語も再度言及される。
- 建礼門院の語りが、後白河法皇の語り(=国家的な怨霊鎮魂)と対置される。(他力本願と自力作善の対比に対応する)
叙事的な屋代本と人・場面中心の覚一本
- 平家物語は読み本と語り本に大別され、語り本には正本系と非正本系があり、正本系として覚一本、非正本系として百二十句本や屋代本などがある。(先述)
- 屋代本:非正本系の中で最も古い成立とみられる。物語の叙事的な展開に主眼
- 覚一本:正本系。人物中心・場面中心の物語構成。その顕著な例が建礼門院の物語
- 覚一本は建礼門院の物語を灌頂巻として独立して立てる点に特色がある。
- 現実の覚一は必ずしも人物・場面中心の語り口ではなかった。同一の出し物で大別して2種の演唱法があった。その2つの側面を典型化したのが屋代本と覚一本。
- 「三人称に、一人称的な語り口が組み入れられる」が平家物語の文体の基本的な特徴。
- 最初に出来事の背景が叙事的・三人称的に語られる→物語の中心部分になると一人称的な語り口になる。
一部平家と非正本系のテクストのスタイル
- 全巻の通し語りを「一部平家」という。中世には普通に行われていたが、近世にはほとんど行われなくなった。
- 勧進として1ヶ月かけてやる。このときは叙事的な語り口が用いられる。
- 一部平家は口伝を受けた有資格者(検校)ができる。その口伝を明文化したのが、百二十句に分割した百二十句本。
- 句立ての方法が定式化する前の、通し語りの叙事的な語り口を伝えるのが屋代本。
正本の成立と、当道の組織確立
- 正本の作成と伝授は、当道(座)の確立・維持と不可分。
- 覚一本は、覚一→定一→塩小路慶一→井口相一 と総検校に伝授され、当道の最上層部で独占的に管理・相伝される。
- 「参照される」というより「秘匿される」ことで権威化し、内部支配を補完する。
- 慶一によって足利義満に副本が献上される。当道の支配権が将軍家に委ねられたことを意味する。
- 公家や寺社に隷属して分散的だった座が、将軍家を新たな権威として組織化され当道になる。
- 「総検校」を名乗るのは慶一が最初。覚一・定一は遡って総検校のタイトルが適用されている。
灌頂巻‐建礼門院‐弁才天
- 覚一本に灌頂巻が立てられたのも、当道の正本として作成されたことに関連する。
- 灌頂巻は最高位者(検校)に特権的に伝授された秘曲。
- その秘曲として建礼門院の物語が選ばれたのは、その物語内容による。
- 灌頂巻は伝授の際に、弁才天をまつる儀式が行われる。
後から成立したテクストが初源に似る
- 徒然草でも、平家物語が寺院社会で編集・成書化された点が記されている。
- 平家物語を構成する物語群は、念仏の聖・尼・琵琶法師らによって寺院に運び込まれる。
- 覚一本がテクストとして成立・定着していく過程が、寺院から語り手(琵琶法師)が離脱し、座として自立する過程と対応している。
- ※「犬王」では正本が成立して、今まで語り得た物語が語り得なくなる点に、主人公は抵抗していた。
- 読み本(延慶本)の方が「文字化されたタイミング」は古くても、実は語り本(覚一本)の方が構造的には平家語り発生の初源に近い(可能性もある)
- 平家は語られる都度、語り手の中でシャーマニックな発生を繰り返す。そのたびに、語りが発生する初源への揺り戻しを受ける。
- そのため、覚一本が定着に至るまでの過程は、自らのスタイルを自律的に回復してゆく過程でもあり得て、構造的に初源に似ていく。