やしお

ふつうの会社員の日記です。

知事みるとつらい

 猪瀬知事が不自然な態度や釈明を一生懸命やってるのを見ると、いたたまれなくなる。そしてそれを笑ってバカにする人たちを見ると、なにおーっという気になる。


 たかだか100人くらいにブコメで叩かれたりしてもあんなに動悸がして冷静さをやや欠きながら睡眠時間を削ってせっせと反論記事を書いちゃったりするんだよ。そうじゃない! お前たちはぜんぜん分かってない! 俺をそんな風に否定するんじゃない! そんな気持ちで。
 なのに数万人が自分を非難している、と実感するだなんて、いったい耐えられるのだろうか。


 たとえば卒研の発表会。質疑応答で教官からなにか質問を受ける。どういうわけか質問の意図や内容が上手く汲み取れずに、あさってのことを答えちゃったりする。それで他の学生や教官から失笑をかってますます冷静さを失う。おかしな受け答えが続く……後になって思い出すと何も難しい質問でもないし、どれだけでも適切な答えが思い浮かんで悔しくて恥ずかしい思いでいっぱいになる。
 そんな経験ってないんだろうか。
 猪瀬知事のあれこれを見てるとそんなことが思い出されてつらい気持ちになる。


 「公人にはそういう場面で冷静な対応ができる能力が求められるのだ」と言われればごもっともだよ。だけど「公人」と線引きして、あいつはあっち側の人間、俺らはこっち側の人間、だからどんだけバカにしたってオッケーだなんてあんまりだ。
 いじめ良くないって誰だって言うけどほんとかなと思う。「こいつは今いじめてもいいぞ!」ってなったらみんなで嬲り者にして平気な顔してる、いったいどの口で言うの。


 あとついでに言うと、個人が社会を内面化させずに済む社会システム(日本)の中で生きてきた人にとっては、そうした場面で完全に冷静に対応するというのはとても難しいことなんじゃないかと思ってる。どうしても自分の論や事実が、自分という存在それ自体と切り離せないせいで、自分の論が攻撃されると自分という存在への攻撃に思えてしまって、ほとんど冷静さを欠いて必死で反論することになる。自分の論を自分自身と切り離して捉えて展開していくのは、個人が社会を内面化しないと生きていけない社会でそれなりに長く過ごしてトレーニングしないと難しいんじゃないかしら(緒方貞子とか……?)。
 首相が「強い日本を再生させる自分!」に酔ってるみたいに言われたりするけど、日本で長く生きてきた人としては、酔う、仮面をつける、耳をふさぐ、そうして自分(と一体化した自分の論)を防衛しない限り、たくさんの反論や批難に耐えられない、ってところがあるんじゃないかと思ってるんだ。


 別に猪瀬知事を擁護してるとかいうんじゃないよ。
 ルール違反や事実誤認があればそれを指摘するなり違反を罰するなりすればいいし、あの応答や借用書の味わい深さ可笑しさを楽しんだっていいし、あるいは心情を慮って同情したっていい。
 でも、あいつマジあわあわしてるぜプギャーみたいな態度を取るのは、いったい誰がそんなことできるんだろうと思うだけだ。そうした態度をみると、とにかくつらい。どういうわけか自分がつらい。たぶん過去の自分の振る舞い、その記憶のもろもろのあれこれが一気に蘇って襲ってくるからだ。やめてほしい。