やしお

ふつうの会社員の日記です。

小林太郎を聞いてふしぎな気分になった

 小林太郎のアルバムを聞いていると、ふしぎな感じがする。B'zだったりシャ乱Qだったり馬渡松子幽遊白書のOP)だったり、90年代くらいのいろんな歌手を急に思い出す。ふいに歌い方が似ていて記憶を強制的に呼び覚まされる感覚がある。楽曲が似ているというより、声の出し方震わせ方まわし方といった歌い方が似ている。特定の誰かにというより、いろんな人に似ているのだ。いや、楽曲の方もそんな歌い方を出させる土壌として機能している。


 歌い方は、小説でいう文体のようなもので、歌手に固有なものであって魅力の源泉なのだ、といった通念を相対化されるような感覚がある。文体模写が可能なように、歌い方だってモノマネができる。どれだけでも他人を取り込むことが可能だ。しかしモノマネとはかなり違って、一人の人間の中で溶け合いながら、しかし完全に溶け合うことなく、オリジナルの歌の中でにわかに露呈する。聞く者の過去の記憶が次々と呼び覚まされる。歌手の固有性なんてそんなところにはないんだよ、と言われているような感じだった。


 私の音楽体験がかなり貧しいので、たまたま私にとって小林太郎がそういう存在になり得ただけで、ひょっとするとよくお歌を聞いている人たちにとっては日常的な感覚なのかもしれない。