やしお

ふつうの会社員の日記です。

ノンフィクションでめちゃくちゃ面白かった本

 ノンフィクションというか、ある職業の人が具体的にどう考えて何をどうしたか、といった話で、ここ1年くらいで読んだ中でものすごく面白かった本のことを忘れないうちにまとめておこうと思って。


手嶋龍一『外交敗戦』

 イラククウェートに侵攻し、湾岸戦争が勃発して終戦に至るまでの、膨大なプレイヤーが動いていった内幕を詳細に描いた本。当時は、米国のブッシュ大統領、英国のサッチャー首相、日本の海部首相、イラクフセイン大統領、サウジアラビアのファハド国王、エジプトのムバラク大統領、等々というのが各国の首脳だったけれど、本書で扱うのは彼らというよりむしろ、その下にいる大量のキープレイヤー達が誰とどのタイミングで接触したか、どういう意思決定をしていったか、といった話が描かれる。閣僚や政治家、官僚、外交官だけでなく企業やそこに属する人々も含まれる。
 はちゃめちゃに有能な人達が「こんなに働いたら死んじゃうんじゃないの」みたいな猛スピードで動き回っている。それを丁寧にトレースして定着させるこんな本、どうやったら書けるんだろう……という気持ちになる。


 クウェートが侵攻され、邦人を含む多数の外国人がイラク軍によって人質にされる。その中で商社員を初めとした日本人が独特のネットワークを構築して外交官と協力しながら、ほとんどスパイ映画のようなやり方で情報を提供し続け、その時点では世界で最も精度の高い情報をもたらしていた姿も描かれる。
 クウェート侵攻から1日後の時点で、当時の橋本龍太郎蔵相の指示でクウェートの資産がイラクの手で日本の市場で売却されないような措置を取ったのも世界で最速だったという。
 個人が勝手に判断を下して行動していく場面では日本人も優秀である一方で、組織として意思決定を下そうとすると途端にスピードが落ち、最適解からズレてしまう姿がよくわかる。そうして様々な場面で情報面・物資面・金銭面で国際的に多大な貢献を果たしながら、ずるずると「貢献しなかった国」「人を出さないのに金も出さない国」というイメージへと押し込まれていく過程がよくわかる。


 素人がリアルタイムでニュースを見ていても最終的な事実(どの地域が空爆されている、とか)はわかっても、その裏側でどんな人がどんな風に動いて物事が進んでいるのかはまるでわからない。事後でもいいから本書のように、ひとつのケースを通じて詳細にまとめてもらえると「ああ、そんな風になってるんだ」とイメージが湧く。

外交敗戦―130億ドルは砂に消えた (新潮文庫)

外交敗戦―130億ドルは砂に消えた (新潮文庫)


白石仁章『杉原千畝

 第二次世界対戦前・中の日本の外交官として、「ユダヤ人の命のビザ」として著名な杉原千畝を描いた本。
 本国の反対にもめげずにビザを発給したことで、ユダヤ人6000人をナチスドイツの魔手から救った外交官、と言うと人道的な面ばかりが強調されてしまうが、「外務省が反対すればビザは無効になる」という当然の制約がここにはあったのだということを本書は思い出させてくれる。「本国が反対しているビザを大量に発給して、本国に外国人を殺到させる」という嘘のような行為を成立させるために、杉原がいかにトリックにトリックを重ねたかが具体的に描かれる。


 ルールの抜け穴を縫って形式的な要件を成立させ、人間の移動と電報の到達の時間差を考慮し、嘘ではないギリギリのラインを報告し、自分のサインさえハンコ化して大量発給を可能にし、本省にもとことん根回しをする……打てる手を全て打って最終的に嘘のような現実を作り上げてしまうこの過程を見せられると、ほとんどミステリー小説みたいだ。
 この背景として、独ソ不可侵条約によりポーランドが分割され隣国リトアニアユダヤ人が殺到し、さらにバルト三国ソ連に併合されていく経緯も詳細に描かれる。日本が大平洋戦争に突入する直前の東欧の状況がよくわかる。歴史の後ろ側から見ると「ナチスドイツの魔手からユダヤ人を守った」となるけれど、当時の認識では「ソ連の驚異からユダヤ人を逃がした」のだとわかる。


 そして本書では、杉原の本来の仕事である欧州の情報収集・情勢分析についても詳述される。なぜ杉原がバルト三国の中でも最大のラトヴィアではなくリトアニアで在外公館を開設する仕事に従事することになったのか、杉原はどのように情報網を築いていったか、杉原は欧州情勢をどのように分析していたか、といったインテリジェント・オフィサーとしての杉原も描かれていく。

杉原千畝: 情報に賭けた外交官 (新潮文庫)

杉原千畝: 情報に賭けた外交官 (新潮文庫)


羽澄昌史『宇宙背景放射

 先端にいる研究者(実験系の物理学者)がどんな風に仕事をしているのか、その具体例に触れられてとても面白い本だった。
 世界の先端研究の進行状況やトレンドを見極めて自分の研究の方向性を決定する能力、理論系の各仮説を正確に理解してどれが有力そうか見定める能力、実験系の各成果を素早く把握して自分の実験を修正する能力、研究者や企業にアプローチして必要なチームや予算を組んでいく能力、装置の課題(何せ先端の研究をしているため唯一無二の装置で前例がない)を特定して解決する能力、チームを率いてマネジメントする能力、外国人研究者と議論できる語学力……どれ一つをとっても企業の中なら「すごい人材」と言われそうな能力を、たった一人で全部体現している。「猛烈に優秀な人」ってこういうレベルなんだ、こんな人がいるんだ、と途方もないような気持ちになる。


 著者はもともと素粒子を専門とする物理学者だったが、宇宙物理学に鞍替えする。その理由も本当に合理的だ。
 本書は「宇宙の誕生って何だろう?」という疑問に対して、現時点での最新の仮説がどのようなもので、どういう手段でその仮説を実証しようとしているのかという話がメインになっている。地球にやってくる長波長の電磁波(マイクロ波)を観測することがどうして宇宙誕生の仮説の検証になるのかという話も、その前提になる知識、そもそも空間とは何かとか、ビッグバンから光が直進できるようになるまで38万年のタイムラグがあったといった話の一つ一つがとても分かりやすく解説されていて面白い。


 研究者ってこんな風に考えて動いてるんだ、という驚きと、宇宙物理学の先端研究ってこんな感じなんだ、という納得を詰め込みながら、わずか200ページの新書に無理なく納めてみせるというのも、ほとんど手品みたいだけど、死ぬほど優秀な人ってもうこうなんだ。


三枝匡『ザ・会社改造』

 ミスミ元社長が「ミスミという企業をどのように最適化させていったか」を詳細に描いた本。
 日本人で経営者というと、創業者型、創業家出身型、内部昇格型、銀行派遣型のいずれかが多く、「プロの経営者」と言われる人でもこのタイプから他の会社の経営に招かれるというパターンが多いかと思う。この人の場合は30代からいくつかの会社や事業部門のトップに就いて再生・立て直しを手がけていて、「職業としての経営者」であるという意味で「プロの経営者」と言えそうだ。


 何かを達成しようとすれば原理的に、

  1. ゴール(目標)を特定する
  2. スタート(現状)を把握する
  3. スタートからゴールに至る矢印を構築する

という作業が大なり小なり必要になる。この当たり前のことをどれだけ本気で徹底してやり抜けるかによって「ゴールに達成する」が実現できるかが決まってくる。さらにこれを大から小までやり抜く。この本を読むと会社を経営する人間としてそれを具体的にどうしているのかがよく分かる。
 原理だけを言えば簡単なようでも、これを正確にやり抜くのは本当に難しい。いくつもの思い込みが邪魔をする。例えばスポーツなんかで「日本人は外国人選手よりも体格面では劣るが器用さには優れている」といったふんわりした思い込みをスタートとして設定してしまうと、もうそれでゴール(世界大会で勝ち抜くとか)を達成できなくなってくる。
 会社の中でも「ウチ(会社)の強みはこれ」「この商品が稼ぎ頭だ」といった思い込みが蔓延してその積み重ねの上でアクションを考えようとするから間違える。著者が「みんなが強みだと思っているものは既に陳腐化している」「誰も見ていないがここがウィークポイントになっている」「(会計上の原価とは別に)真の原価を見ると実はこの商品は稼ぎ頭どころか足を引っ張っている」といった本当の「現状」を暴いて、こうした「思い込み」を引き剥がしていく。その一つ一つの過程の中にもまたこのゴールの特定・スタートの把握・矢印の構築が含まれる。


 たぶん日本のメーカーの多くが、自社内から生産部門を削減していく方向に舵を切っていたと思うけれど、ミスミはもともと生産部門を持たない商社専業から逆にメーカー(駿河精機)を買収する方向に行く。それも本書を見ると、ゴールに辿り着くためにスタートを見極めながら矢印を引くとこうなるんだな、と心底納得のいくアクションになっている。それは、世界の中で日本の企業がどのように位置付けられるのかという大きな認識とセットになっている。
 本書の途中で、トヨタ生産方式によって敗けた欧米企業が、トヨタ式のコアを特定して生産面だけでない企業活動の全域にまで具現化させていった間に、日本企業はトヨタ生産方式の上にあぐらをかいてぼんやりしていたために徐々に優位性を失っていった、という認識が示されるが、その水準で広く認識しないと実のところ正確なアクションを取れないのだろう。


「部下にどれくらいの粒度で仕事を渡せばいいのか」、「部下のレベルをどうやって上げればいいのか」、「上司は(社長は)どれくらい細かいところに口出しをしてもいいのか、あるいはしない方がいいのか」、「あるアクションが失敗だと思われた時にどれくらいのタイミングでそれを見極めればいいのか」、「社員の意欲をどのように適切に上げられるのか」といったよくある疑問にある種の回答が与えられる。(同時に自身の失敗例も惜しみなく開示される。)それは教条的・固定的に決まるものではなく、現実的な制約や前提(スタート・現状)を見て決定されるものだということがよくわかる。結局、自分の目で見て自分の頭で考えない限り上手くはいかない、という話に帰着する。


伊勢崎賢治武装解除

 東ティモールシエラレオネアフガニスタンで紛争の後処理の現場を管理職・決定権者として担った人の本。
 何をどうしたらそういう仕事に就くことになるのだろうかというのは不思議だけど、

  • 建築家になって世の中を変えたいと思う
  • 日本だと公共建築か住宅の道しかないため「世の中を変える」という感じではなさそう
  • 都市計画の分野に興味が移るが、結局のところ先進諸国にだけ許された考え方だということを知る
  • むしろ発展途上国の住環境改善や社会運動に興味が移り、フィールドワークをしたいと考える
  • たまたまインド政府国費留学生募集の張り紙を見たので応募してインドの大学に行く
  • 「こちら側」に身を置いたままのフィールドワークでは「あちら側」のことは結局本当には分からないと考える
  • 大学を辞めてスラムの住民組織に入り込む(住民組織を支援する現地NGOに雇われる)
  • スラムの40万人規模の住民を組織化して市当局の強制撤去に対抗したり公共投資を勝ち取る団体交渉を支援したりしていたら、インド公安に目を付けられて国外退去処分になる
  • 帰国して生活の糧を探すが国内のNGOはまともな給料を出さないので大手国際NGOに入る(インドの実績を上げたら即採用された)
  • NGOの現地代表としてシエラレオネに派遣される。職員200人のマネジメントをする。大手NGOで国の公共インフラ事業を一手に引き受けていたため政界にも影響力があり市会議員も1期務める

と、ここまでの時点でまだ28歳で、その後は帰国後に研究員になったりしていたら外務省国連政策課から「東ティモールPKOミッションに興味はありませんか?」と電話がかかってきて、紛争が発生した国の統治やDDR武装解除・動員解除・社会再統合)を担当していくことになる。
 道なき道というか「キャリアパス」などというものが存在しなくても、「こうしたらどうか?」と思ったらその世界に飛び込んで実績を残すことを繰り返していけばそれがキャリアとなって、気付けば名指しで仕事を依頼されるようになるんだなと思う。


 紛争が起こった後の国で、国際社会や国際機関がそこにどう手を入れていくのかということが生々しく描かれる。そこで暮らす人々の生活にとって重大な「国家が安定する」「治安が維持される」という状態は、「暴力装置文民の手で独占的に一元管理できている状態」が前程されるのだという事実がはっきりとわかる。その状態が崩れてしまうために紛争が発生するし、紛争から正常に戻すためには各勢力間のパワーバランスを崩さないように暴力装置を解体しながら、同時に国軍や国家警察に暴力を一元化して再構築していく作業がまず必要になる。学校・医療施設・インフラ整備といった「きれいな」復興支援の話ばかりがされがちだけれど、現実にはそれだけではないということがよくわかる。

武装解除  -紛争屋が見た世界 (講談社現代新書)

武装解除 -紛争屋が見た世界 (講談社現代新書)


清水潔『桶川ストーカー殺人事件』

 FOCUSの記者として桶川ストーカー殺人事件を追った経緯を本人がまとめた本だけど、本当にすごい。記者が具体的にどうやって情報を収集していくのかというのがよくわかる。大スクープがものになる直前のじりじりした焦りと、スクープ直後の他社の反応や興奮が臨場感をもって伝わってくる。
 週刊誌一般に対して、他人のプライベートを暴いて俗情にとことん寄り添うことで金にする汚い集団という印象を抱いていた(し、著者自身もそのことを否定していない)けれど、こうした事件報道をとことん追って被害者の家族や友人からも信頼を勝ち得ながら警察批判までするような記者が実際に存在したんだ、と思ってびっくりした。


 そしてこの事件の顛末があまりにひどい、むごいとしか言いようがない。この'99年に起きた事件がきっかけとなって埼玉県警への強い批判が起きたし、ストーカー規制法ができたけれど、大袈裟ではなくて本当に、もしこの記者がいなければそもそも犯人不明のまま迷宮入りで済まされていたんだろう。その裏返しで「ああ、こうやって色んな事件が『無かったこと』にされていくんだろうな」ということがよく分かる。どういうやり方で警察が捜査本部を設置しながら犯人を逃していくのか、組織防衛を優先させて市民の利益を踏みにじっていくのかが具体的によくわかる。(というか個々人の警察官は市民の利益を真剣に考えている人がいるのかもしれないけれど、組織体になってくるとそのインセンティブが働きにくくなっていくのだと思う。)
 著者は警察よりも先に実行犯の居場所を特定して犯人逮捕に繋げていくことになるが、これは著者がスーパーマンだからというより警察が絶大な権力と人員を持ちながら適切な捜査を放棄していたために、結果的に大きな制約の中でも地道に情報を集め続けた著者の方が先に事実の大きなマップを描けたということだった。


 著者は、運が良かった、色んな人が適切なタイミングで適切な情報をくれたからだと言う。でもそれは、徹底的に地道に追い続けて、かつそれを記事という形で見えるようにしたその姿勢の持続のたまものだろうと思う。チャンスを掴むというのは、チャンスを求める姿勢や受け入れる姿勢があってこそなんだということがよくわかる。

桶川ストーカー殺人事件―遺言 (新潮文庫)

桶川ストーカー殺人事件―遺言 (新潮文庫)




 自分の位置付けを正確に把握して、どうすべきかをとことん考え抜いて、それを実行するというのはとてもしんどい。そのしんどいことをやる人というのは本当に尊敬するし、そういう話を見るのはとても面白い。(一方で不合理なことを言ったりやったりしてしまうとか、集団になる・組織化されるとおかしくなるといった話も大好きだけど、それはまた別の話。)